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【2019 輪廻転生】

★無限の始まり/デイヴィッド・ドイッチュ(再再再読)

ちょっと時間があるとつい余計な後悔や心配をしてしまう。そんなときは、とても面白くてとても難しい本を読むのが正解。たとえば『無限の始まり』(デイヴィッド・ドイッチュ)。年末から再読している。すこぶる集中せざるをえない。

http://www.intershift.jp/w_mugen.html

 

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(1月21日)

今年は『無限の始まり』(デイヴィッド・ドイッチュ)をずっと読むことになりそうだ。どの章も「これがズバっとわかったらすごいことになる」と思えるのに、なかなかわからず通読できていない。しかし今回は冒頭から熟読しつつ7割はうなずいているので偉いと思う(私が)

 

第8章「無限を望む窓」では新境地が開かれた感がある。ゼノンのパラドクス(アキレスは亀に追いつけない)を、一定の距離の間に数学的には数えようもないほど無限の点があると言えるが、その距離を物理的に測定するときには無限大や無限小というものは現れない、といった解説をする!

この流れで著者は、数学と物理学の本質的な違いというとても気になる問いに驚くべき解釈を示す。《計算や証明は物理プロセスだ》と断言するのだ。

《決定不能な問題も、計算不可能な関数も、証明不可能な命題も、数学的に特殊なものではない。それぞれどう転ぶかはもっぱら物理に左右される》

《物理法則が今のわれわれがこうだと思っているものと実は違っていたなら、われわれがどの数学的真理を証明できるかは違ってくるだろうし、証明に用いることができる演算も違ってくるだろう》

《われわれの知っている物理法則は偶然にも、NOT(〜でない)やAND(かつ)やOR(または)といった演算に特権的地位を与えており、それらは情報の個々のビット(二進数でも真理値でも)に適用できる》《だからこそ、こうした演算はーーそしてビットもーーわれわれには自然で、基本的で、有限だと思えるのだ》

かなり背伸びをして竹馬も使って転びそうになりながらしか理解できないが、それでもこれは、私たちの数学と私たちの物理の世界は一体どうなっているんだ? という好奇に対し、ついに「新大陸が発見された」と言いたくなる。

なおデイヴィッド・ドイチュは、私たちの物理学が今あるままだとは考えていないだろう。量子というまったく新しい物理とその新しい法則が見えてくれば、まったく新しい計算や証明が出現するはず(量子コンピュータなど)と、同書のこの時点でも大いに示唆する。第11章「多宇宙」はまだ先。

 

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