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【2019 輪廻転生】

「数学の祭典」 千葉雅也×加藤文元 対談

ニコニコ生放送で「数学の祭典」というのをやっていた。

 

アクセスしてみたら甘利俊一さんが話していた。理研脳科学総合研究センター長だった人。かつて立花隆がやっていたメディアの役割を今はニコニコ生放送がやっているのか、と思わせた。

 

 *

 

続いて、千葉雅也さん×加藤文元さんの対談を視聴した。予想外のファンタジックな組み合わせ。加藤さんはNHKの宇宙際タイヒュミラーの番組に出演していた人でもある。

 

(視聴開始)

千葉さん「構造的な直感というのは数学に近いのではないかと思う」

加藤さん「数学にもエクリチュールの側面だけでなくパロール的な側面があると思う」

パロール=身体性=実践性=幾何学的、 エクリチュール=形式性=記号性=代数学的、みたいな話。この2つは矛盾しそうで矛盾しないのだという。

「数学者はどこかプラトニズムを信じている」「人間が感じられるっていうこととは全然違った意味での正しさなんだなこれはというようなこともあるんだよね。だからそれは人間とは独立の正しさなんだというような感覚が生まれてもおかしくはないかなと。なんなのかなという感じですよね」(加藤さん)

これに対しカンタン・メイヤスーそしてカントの物自体を参照させてくる(千葉さん)

それを受け、加藤さん「リーマンはどちらかというと物自体というものをやはり知りたかった人なんだと僕は思うんです」。リーマンについて書いた論評でも「新しい物自体」という言葉でそれを説明したという。

リーマンは「空間というものの存在論を変えようとした」「彼は、数学的な実在とは何なのかということを変えたかった」(加藤さん) ――なんかわかる気がしないでもないのは、錯覚かもしれないが、同じ人間だから完全に錯覚でもないのだろう。

もう寝ようと思うのに、話はどこまでも面白くなる。

人間を超えた知性をもつ宇宙人の数学では、素数に関しては私たちとかなり共通するだろうが、空間概念はぜんぜん違うんじゃないか。空間概念は我々の五感とくに視覚に依拠しているだろうから(加藤さん)ーーなどなど。

 

(9月27日)

加藤文元さんは古代ギリシアの数学にも詳しいようで、「ユークリッドが公理系の幾何学を企てたのは、数学が哲学の議論に巻き込まれるのがウザかったから」という趣旨の話が面白かった。ここでいう哲学の議論とは<アキレスは亀に追いつけない>というゼノンのパラドクスなどのことらしい。

アキレスが亀に追い着けないのは、距離が無限に小さくなるという想定によるが、この無限というのがユークリッドにとっては魔物というか鬼門というか、とにかくそんな論争から遠ざかりたかったのか。20世紀に至ってヒルベルトが数学の万能化を目指したときも無限をどう排除するかが鍵だったはず。

さらに、これに関連すると思うが、古代ギリシアの数学には関数が現れないのだという。それは言い換えれば、運動(時間による変化)という視点や記述法を欠いていたということのようで、これまた(よくわからないのはさておいて)思いがけず極めて興味深い。

おそらく数学だけはテキトウなことを言うと絶対にバレるので、もうやめるが、最後にもう一言。この対談を聞いていて夢想した。――なんらかの高みに達しつつあるかもしれない私たちの数学が、地球や銀河を超え、ひょっとして宇宙というすべての実体を超えてすら普遍である、マジの可能性を

それとも、そんなことはあるわけがないのだろうか? それは人間を買いかぶりすぎているだけであり、そして数学というものを買いかぶりすぎているだけなのだろうか?

(さらに続く)

 

 

◎対談後の千葉さんのツイートから(以下)

何かが引っかかるときがある。自転車置き場で自転車を出そうとして、ハンドルが隣に引っかかるとき。充電ケーブルを引っ張ると他のケーブルを引き連れてくるとき。ある条件を満たすと引っかかるのだろうな、と思う。これって、たぶん数学なんだよなと思う。日常で、これが一番数学を意識するとき。https://twitter.com/tokyocat/status/1573858100125536256