近代科学などに粋を極めてきた人間の知性も、宇宙の底知れぬ全体や核心となれば「捉えられているはずがない」――という考えを、物理学者デイヴィッド・ドイッチュは否定している。人間の科学が宇宙の全体や核心に迫れる可能性には十分な根拠があると言うわけだ(『無限の始まり』)
それと同じく、近代西洋音楽が粋を極めてきたと思われる、たとえばその音階やピアノという装置やピアノ曲などの創作物が、地球外にさまざまな知性があったとした場合に彼らが発見したり発明したりする音楽の普遍的な最高水準に、「迫れるわけがない」わけでもないのではないかと、私はふと思う。
今回たまたまショパンコンクールを少し視聴してみた感想。
https://ontomo-mag.com/article/event/18th-chopin-competition-final
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肌寒くなってもストーブは出さない。小雨が降っても傘はささない。締め切りが迫っても仕事はしない。漢の証。
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https://note.com/ochyai/n/ndbb2b36cd3be
《SDGsはどちらかというと「投資家のアヘン」で,weeklyochiaiも「意識高い系のアヘン」だし,脱成長アソシエーショニズムはまさに「大衆のアヘン」だと思う》
無料で漏れてきた短いつぶやきの強度が比類ない(さすが)