『無限の始まり』(デイヴィッド・ドイッチュ)をまた読んでいる。
「夏の宿題」の参考書、もしくは「夏の宿題」そのもの。
◎ 無限の始まり
◎ 夏の宿題
ドイッチュは量子論の「多世界解釈」をマジに信じていることが知られている。同書のその章を初めて読んだ。独自のたとえ話による解説が続く。うっすらイメージできるようになる。しかし難しい。
多宇宙は、互いに代替可能であることが、その本質的な性質であると、ドイッチュは強調する。代替可能性とは? 銀行口座に入っている100ドルから1ドルを引き出したとき、100ドルの中のどの1ドルが引き出されたかは区別できない、といったことに喩える。なるほど〜〜
また、この本は「説明」というキーワードが通低音になっている。良い説明こそが「無限の広がり」をもつという信念。説明とは要するに知識であり、要するに近代科学の方法を指す。そしてなんと、私たちの歴史においてそうした無限の始まりは、そのたった一度しか起こっていない、という立場。
この「多宇宙」の章でも、キーワード「説明」は出てくる。宇宙においてあらゆる物理的な事象は遠くに伝わるにつれどんどん減衰していく。しかし減衰しないものが1つだけある。それが「説明」だねと、さらりと書いてあった。全体にぼんやりした理解の読書のなか、ぱっと明瞭に感動的だった。