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【2019 輪廻転生】

★クララとお日さま/カズオ・イシグロ

カズオ・イシグロ『クララとお日さま』感想

https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2021/03/06/000000 からの続き

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中断していたが再スタート。クララはアンドロイドと思われる。しかし彼女たちは人を選べる立場にない。店舗のショーウインドウで選んでくれる子どもや親をただ待っている。その相手に奉仕するという目的から逃れることもできないようだ。身につまされる。

第一部読了。次はいよいよ自分を選んでくれた子どもの家で新しい生活が始まるようだ。家族の話し相手になったり働いたりするロボットというと、手塚治虫火の鳥 復活篇』のロビタを思い出す。クララの定められた宿命は『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ)にも似ているかと思う。

それから、クララが人の心に興味をもちそこに近づこうとする様子は、先日みた『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』の綾波レイを当然ながら思い出させる。

ところで『クララとお日さま』はクララが語り手なので、『アルジャーノンに花束を』でアルジャーノンの知能変化に応じて語り口も変わっていったことを思い出し、クララはかなり賢いものの、本当に信用できる語り手なのか、などとカズオ・イシグロ作品で定番の問いかもしれないことを、ふと思う。

なお『クララとお日さま』中断中は、『タコの心身問題』と『相対化する知性』を読んでいた。2冊とも人間とは別の知能や心の可能性をめぐる本だった。参考にしよう。ただしタコや人工知能の気持ちになっては読めなかった。ところがこちらは、もう自分がクララになったつもりでしか読めない。

人の心の機微に今ひとつ習熟しないクララが語り手だと、目の前で展開している母と娘の機微にあふれる言動を、クララ自身はよくわからないけれど、見聞きしたまま伝えることはでき、結果的に、その機微を読者に示唆しつつ、無粋な解説はしないですむ、といったことが可能になる!

というか、ふつうの小説は、機微を示唆しつつ解説はしない。読んでいる読者の感度がクララ並みでしかないと、とうぜん困ることになる。なので、ときどき困る。

クララは私だ。

心情の描写だけでなく風景の描写も同じ。クララは窓から初めて眺めた「野原」がどういうものかを、おおよその構図や色や形で伝えようとする。そもそも映画なら野原は現物で一挙に示せるが、小説は言葉(記号)で象徴的に示すしかない。

小説の語りとは、それを読むとは、すべて、シンボルグラウンディング問題なのかもしれない。小説の読者は、だれしもクララ。

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(4月26日)

『クララとお日さま』ちょっとずつ進んで先ほど読み終わった。

淡い。

一言で言うとそんな感想。

ブレードランナー』とか『トランセンデンス』がひたすら濃かったのに比べれば、『クララとお日さま』は実に淡い。はかない。それが良いのかも。人間とは何だ? 心とは何だ? 濃く強烈な問いを抱えつつも、私も君もやっぱり、どうせ淡い淡い答えのなかに没していくしかないのだろうから。

クララも、あのあと、彼女自身の「デイジー」の歌を、口ずさんだろうか。

 

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『クララとお日さま』の、じつは「もやっと」したところを、ちゃんとつっこんでいる、有益なポッドキャストがあった!

https://anchor.fm/tsuiteru2020/episodes/10-evjfcf

(第10回「カズオ・イシグロ「クララとお日さま」をみんなで読もう」ツイてるブッククラブ)

 

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早川書房のページ)

https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000014785/pc_detail/