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【2019 輪廻転生】

★日の名残り/カズオ・イシグロ

日の名残り』を読んでいる(未読だった)。執事の話だとは知っていたが半端ではない。半分過ぎてまだ銀食器の磨き方がとかやっている。「執事オタク」が歓喜する「執事小説」と言うべきだ。しかしなぜカズオ・イシグロは40歳代の半ばでこのような作品を書いたのだろう。最後まで行くとわかるか。

先日読んだ『遠い山なみの光』(カズオ・イシグロ)も、なぜデビュー作でこのような小説を書いたのだろうと思った。かつて『わたしを離さないで』を読んだときも少し思った。

まあそもそも、作家がこれを書いた理由が「わかるわかる」という小説だけがこの世にあるわけではなかろう。

 

しかし、私がなぜカズオ・イシグロをずっと読みたいと思っていたのかは、思えばはっきりしている。だいぶ前この発言をネットで見つけ、しみじみと共感したからだ。

「大人になる過程は興味深いものです。我々は理解できないまま、良からぬ現実を知るものです。私たちは“死”を理解する前に死を知ることになりますよね。“悪”も同じです」

https://themusicplant.blogspot.com/2011/04/etv.html

「私たちは”死”を理解する前に死を知ることになりますよね」

(さっきの発言、ネットで読んだのではなく、テレビでちゃんと見たのだった。

https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20110524/p1

 

とはいえ、小説というものがそうすんなりと出来上がっているわけではないようだ。ぼんやりと出来上がっていることもあるのだろう。『遠い山なみの光』などは、どちらかというとそうだった。そして読み終えてみれば不思議で得難い体験になる。この執事小説はさてさて?

 

(2月21日)

日の名残り』を読み終え、ネットをいろいろ探ってみると、「信頼できない語り手」という観点での考察が一般的と知り、ええっと思った。説明されてみると確かにそうなのだが、読んでいるときは純真にというか鈍感にしか読んでいなかった。