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【2019 輪廻転生】

★推し、燃ゆ/★クララとお日さま

芥川賞「推し、燃ゆ」を読んだ。タイトルと冒頭のスピード感から、戯画的ノリで暴走していくかと予測したら、違った。ADHDと思われる心の不調が、推し活動と並んで前景化し、学校とネットとバイトの日々を、とろ火で煮込みながら描写していく体。丹精で客観的。
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309029160/

文章に緩さや破れがなく密度も高いと思った。言い換えればスキがなく適当に読むことができない。たとえば「コンビニ人間」は緩すぎる文章だけど人懐こい小説だった。「むらさきのスカートの女」は緩くも破れもないけど良い意味で冗長で休み休み読めた。

推し活動やADHDが、もし書き手において現に進行中なのだとしたら、推し活動やADHDを客観的に冷静にとろ火で描写することは可能なのだろうか。そんな興味も浮かんできた。

 

それにしても、発達障害ADHDASD)のメディア的な流行は著しい。私も、かつては「誰だってうつになるさ」と強く言いたかったのと同じように、今なら「誰だって非定形の部分を抱えているさ」と強く言いたくなっている。推し活は他人事でも発達障害の叙述は完全に他人事としては読めない。

「小説はボケとツッコミのバランス」といったことを以前思った。推し活やADHDという心の偏執や不調は、いわばボケ。しかしそれを語るのは、いわばツッコミ。「コンビニ人間」は全体にボケだったのに対し、「推し、燃ゆ」は完全にツッコミ小説だと言いたいのだ。「むらさき…」は不明。

 

さて話は変わるが、『俺の家の話』にも発達障害が入っているのは周知の通り。本日もTVerでゆっくり見よう。全体に浅田政志の家族写真を眺めている面白さ。しかしこのドラマ、虚構やパロディやジョークが満載であるぶん、介護や認知症の写実性がむしろ印象的。マスクもなんかリアル。やはり比類なし。

 

さてまた話は変わるような続くような。

『クララとお日さま』(カズオ・イシグロ)も入手した。ちょっと前に「人工知能発達障害」というフレーズが思い浮かんだけれど、まさにそんな物語が始まるのかという感じ(まだほんの少ししか読んでいない)

https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000014785&search=&sort=disp_pc

 

人工知能発達障害」(https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20181108/p1

 

なお『クララとお日さま』を読み始めて、「人工知能に意識はあるのか」という大問題が、もちろん頭に浮かんできた。この問題に直に工学的に挑むとハードSFになろう。ところが、そこをさっとスルーしていきなり人工知能の苦悩から始まると、むしろハード純文学になるのかも…。新鮮な発見。

また、「発達障害」とはつまり「フレーム問題」だ、ということも、クララたちの戸惑いや勉強ぶりをみると、改めて思う。

人の感情にどう応答していいのか今ひとつわからない。そこにいる二人が喧嘩をしているのだということにも気づけない。そんな戸惑い。なお、私たちは人工知能ではなく自然知能だが、それでもこうした戸惑いや学習と完全に無縁ではないことも、この本を読むときの前提かなと思う。

 

↓「クララとお日さま」感想続き

https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2021/04/16/000000