東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ハムレットを初めて読んだ

ハムレット」を読んだことがなかったので読んだ(福田恆存訳)。ハムレットが屋敷に劇団を呼んで劇中劇が展開され、それがストーリーの結節点になるということも初めて知った。なお、ハムレットは役者の演技というものについて指導というか愚痴をくどくどと述べたてるのも、なかなかおもしろい。

個人的な発見―― 有名な「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」(福田の訳は異なる)のセリフだが、これは父を殺し母を奪った現在の王と戦って死ぬ覚悟のようなものを語っているのだろうと、ふつうはそうとらえるだろう。というか、その意味を考えたことも私は一度もなかった。

ところが、そこの箇所をちゃんと読んでみて発見。ハムレットは《この辛い人生の坂道を、不平たらたら、汗水たらしてのぼっていく》くらいなら《いっそ死んでしまったほうが(よい)》と言っている。では、なぜ死なないのか。生きるべきではないけれど、ではなぜ、死ぬべきでもないのか?

ハムレットは《ただ死後に一抹の不安が残ればこそ》だと言う。《旅だちしものの、一人としてもどってきたためしのない未知の世界、心の鈍るのも当然》と言う。要するにこれ「死んだらどうなるかわからないから、死ぬのがこわい」という素朴な独白なのだ。

そもそもキリスト教は、死んだら人はどうなると教えているのだっけ? また、シェイクスピアやその時代の人々は、実際、死んだらどうなると思っていたのだろう。イギリス国教会ではどう解釈したのだろう。にわかに気になってきた。

生きるのはつらい、生きるのはいやだ、あるいは生きるって素晴らしい、といったテーマの文学は多数あるように思うが、死ぬのはつらい、死ぬのはいやだ、あるいは死ぬのはすばらしい(自死がすばらしいのではなく死んでからがすばらしい)というテーマで書かれた文学は、案外ないのではないか(「ハムレット」ももちろんそんなテーマではない)

さらには、「死んだら終わりだ」ということを前提にした文学は多いと思うが、「死んだら終わりってどういうこと?」「死んだら終わりだったら困るんだけど、やっぱり死んだら終わりだから、困った」というテーマを突き詰めた文学はあるのか?

「死んだら終わりなんですけど、どうします?」という最も切実であるはずの問いを、実際にはだれも真面目に問わないことに、いつしか唖然とするように私はなったのだが、この問いには文学の偉人たちも案外ソッポを向いているのかもしれない。(島尾敏雄「出発は遂に訪れず」なんかはひょっとして…)