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【2019 輪廻転生】

熊野純彦『西洋哲学史―古代から中世へ』(asin:4004310075)


ぱらぱら読んでいるだけだが

ギリシャの時代には

この世界がどういう原理で成り立っているのか

定まった理論はまだなかったわけで

みんな一から考えなければならない

そのぶんかなり好き勝手に思いをめぐらせている印象

そこがなにしろ面白い



近代や現代になって、用語や概念が

おそろしく重ねられ入り組んだ哲学や科学とは

まるで違ったものに感じられる



「この世に果てはあるのか」「死んだらどうなるのか」

「動かないけど滅びない岩石と、動くけれど滅びる人間とでは どっちがこの世における真の姿なのか」

みたいなことを、ふと素朴に思うのは

一般人にすれば、紀元前も21世紀も案外似たようなもの

それを専門家に相談しようとしたとき、

ソクラテスアリストテレスなら

親身になって一緒に悩んでくれる気がする



でも今の科学者や哲学者や文学者なら

「もうちょっと勉強してから来てくださいよ

 この本とこの本とこの本は当然読んでますよね」

みたいなことになりそう



それにしても

西洋哲学の始まりはなぜいつも古代ギリシャなのだろう

文字や書物を残して伝えられたかどうかの条件もあろうが

やっぱり今でいう哲学や科学それに芸術といった営みが

とりわけぜいたくにたっぷりと行われた地域や時代だった

とは言えるのだろう



中国の春秋時代あたりは、古代ギリシャと同じころだ

そこでも諸子百家というくらいで

哲学と呼べる営みはかなり盛んだった様子

でも、たとえば孔子論語など

テーマというなら「人はどうあるべきか」だろう

かたやギリシャ哲学は「この世界はどうなっているか」の興味に

貫かれているようにみえる 対照的



 *



アリストテレスが現代にタイムスリップしたなら

万物の原理をいっそう極めるために

現代の賢者のだれを真っ先に訪ねるだろうか?

ピタゴラスがやってきたら

フェルマーの最終定理とか、ポアンカレの予想とか

教えてやって偉そうな顔をしたい

が、私がそもそも理解していないので、できない



 *



古代ギリシャに生きた者が奴隷でなかった確率は?

現代日本に生きる者がワーキングプアでない確率は?



■■■



池田晶子が『2001年哲学の旅』という本を出している。ニーチェウィトゲンシュタインゆかりの地を訪ね、哲学も紹介するけど観光ガイドも兼ねるといった、なかなかヘンな企画で、本人写真を含めたカラービジュアル系だ。asin:4104001058

この本で池田晶子は、ニュートリノ検出の巨大装置「スーパーカミオカンデ」に携わる物理学者戸塚洋二にインタビューしている。

戸塚は自分が生きていることの不思議をどう思うか池田から尋ねられ、たしか、そういうことは考えません、それは池田さんの領域でしょう、とだけさらっと答えていたのが、なんだかすがすがしく感じられた。物理学が解明しようとする宇宙の法則は、個人の生死の意味といったこととはまったく別個のことなんですよ、といったニュアンス。池田はあまりの意外さに驚きやいささか動揺も覚えたようにみえた。私も同感だった。(本が手元になく以上はすべて不正確引用)

伝統的な哲学の問いは今では世間とも自然科学とも遥かにずれている。それを如実に示す一幕かもしれない。

その池田さんは先日46歳で亡くなった。自らの死の意味について哲学的にはなにか明快な解答に達しただろうか。それともただ無念だっただろうか。一方、戸塚さんは生き死にが研究テーマではないものの、かりに自分に亡くなる局面が訪れたとき、そのときだけはやっぱり自らの知を総動員して生死の意味を問うだろうか。

ふと思い出した。自らの死に妙に興味深い見方を示した死亡広告があったことを。

http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20070301/1172765769