まさかあれほどの津波や事故が起こるとは思わなかった。だがそれに並んで、まさかこれほどの対立や憎悪や罵倒が続くとは思わなかった。すなわち「原発は危ない!/危なくない!」「福島には帰れる!/帰れない!」…。2011年からずっと。
そんななか、この1冊だけは、なぜかどうにか、そうした対立を逃れた言葉で、憎悪や罵倒から離れた言葉で、「リスクと生きること」を、ゆっくりと語っている。私がツイッターばかり読んでちゃんと本を読んでいないのが悪いのかもしれないが、稀有な一冊。オアシスにたどりついたかのごとく。
なぜそうした対立・憎悪・罵倒モードに陥らずにすんでいるのか。そう問いながら読むと、「きっとこれだ」と思えるさりげない記述にいくつか出会う。たとえば――
《私は急いで記事にするのはやめようと思った》
《ここで必要なのは、自分が一番正しいと主張することなのだろうか。私はその競争には乗れなかった。それよりも大事なことがあるように思えてしかたなかったからだ》
《この仕事をしていると、いつも「わかりやすさ」から誘惑される》
もう1つの「死者と生きる」のパートも、同じく心が確実に揺り動かされた。
身近な大切な人が津波で消えてしまうとはどういうことなのか。わからない。語る本人も十分な言葉にならず、聞く著者も正確な言葉にできず。だがこの本は言葉に見切りをつけているのではまったくない。それでも言葉を使うことで本当のなにかに限りなく接近しようとしているし、それは可能だと信じてもいる。
そして「死者と生きる」のパートを読んでいて、その可能性を探しだす核心というなら、《感情は揺らぐ》《「私」から「あなた」に向かって発する言葉だから広がりを持っている》といったあたりにあるのかもしれないと、しみじみとうなずいた。
……そのときたまたまビル・エバンスのピアノが聞こえてきていて、「揺らぎ」という用語がとても大きく「共振」した。人を亡くした悲しみや怒りを旋律にしたとき、結局定番のコード進行に従うのだとしても、締めくくりにどうしても終止のコードを使う気にならず、繰り返し繰り返しコードが揺れる。
これだったか?(曲調自体は甘めだけど)
https://www.youtube.com/watch?v=6tfhamBJspw
=Bill Evans Trio - In a Sentimental Mood=
さて、『リスクと生きる、死者と生きる』が、ずっと迷い続けながら、ようやくたどりつく一つの出口――
《「生き方の問題」に向き合う人々は、いつの時代にもいる。どんな困難にあっても、人は何かを考えながら生きている》
そして…《一つの方向性に流されず個として考え、行動すること。行動に基づき、言葉を残すこと。どんな時代であっても最後に残るのは個人として考え行動した言葉であること。それは変わらない》
対立・憎悪・罵倒のオンパレードに見えるツイッターにも、そうした人々やそうした言葉は、いくつも見つかる。