読書はそれ自体が目的なのだろうか、それともなにかの手段なのだろうか?
意識の高い人はこう問うかもしれない――「読書は消費なのか、投資なのか?」
どうなのだろう。
第2部の途中で止まっている『騎士団長殺し』を読むのもまた、目的なのか、手段なのか?
面白いと思って読んでいるときは、読書は目的であり消費であるかもしれない。我慢して読んでいるときは、読書は手段であり投資でありうるかもしれない。
それはそれとして、我慢して読む段階がないと面白く読める段階には達しない類の本あるいはジャンルがある。絶対あると私は思う。量子力学とか不完全性定理とか言語哲学とか、まったく先のみえない読書をくぐりぬけたら、まったく先がみえないわけでもなくなって、はてしなく面白くなった。