いろいろあって読むことにした。進化心理学が成立したばかりの時期にその根幹の発想を鮮やかに知らしめた本、ということになるようだ。
ピンカーの考えの前提には、「生物のすべては進化の産物だ」ということと同時に、もう1つ「認知のすべては演算の産物だ」ということがあるようだ。
この2つの前提を、「まあ踏まえてもいいんじゃない」と思わせるどころか、「そりゃ踏まえたほうがいいに決ってる」「もはや踏まえなくてどうするよ」と、最速で改宗・洗脳を迫る、ピンカーの強気にしてレゾナンスの効いた弁舌。
《人間の心はなぜか進化の過程から逃れることができた、と考える知識人が多い》《しかし、進化がわれわれ人間に、おさえがたい衝動と固定化された反射運動ではなく、神経コンピュータをもたせてくれたと考えれば、すべては変わってくる》
人工のプログラムのなしうることが「まるで生物のごとく」精緻で有能である実例をいくつも見ている私たちには、そんなこと一目瞭然だろうと、ピンカーは訴える。(ただ、その一目瞭然かもしれないことを、私たちは、なかなか見ようとしないし、すべて受け入れたくもないのだろう)
しかし人間の思考や行動のプログラムが自然淘汰の賜物であると考えることは、無理筋ではないとピンカーは強調。なぜなら《生物学の至上命令は「汝、…せよ」ではなく、「もし……であれば……せよ、でなければ……」なのだから》。 ―― 教祖が空中浮遊するのを今目撃した気分だ。
<2月29日>
ことごとく脱帽のうえにひたすら禿同! それ以外のなにものでもない。ピンカー『心の仕組み』を今さら読んでみての感想。――まぶしすぎるのも道理。