音楽クラウドサービスがすごいと聞き、ためしにグーグルを使ってみて、ほんとにもうBGMは未来永劫完全解決!という感じだが、思いがけないカバー曲を聞けるのも大きい楽しみの1つ。思い切り気だるいジャズになったスーパートランプの「ブレックファスト・イン・アメリカ」とか。
https://www.youtube.com/watch?v=YcuZNuQFPvA(1979)
https://www.youtube.com/watch?v=TtawTByHVPM(2008)
新作よりカバーに目が向くというのは、私が年をとった証拠であるが、ポピュラー音楽も50年から100年で蓄積と成熟が行き着いた、ついでに世界市場化も行き着いたということなのだろう。
あらゆる楽曲に初めて聴いた感じが持てない。その心のやさぐれ感・枯れ果て感はどうしようもない。しかしそれでも、歴史が一巡りしたのだ、それに立ち会っているのだと思うと、なんというか私も、繰り返される世界史の一つの局面を生きているのかと感じたりして、またしみじみする。
今年は関連本を1つ読んで世界史にがぜん興味が湧いているのだが、西洋でも東洋でも帝国や王朝の栄枯盛衰は何度も繰り返され、そのつど、文化もまた100年の単位で蓄積と成熟そして瓦解を繰り返したのだ、ということに思いが及ぶのだ。
日本の私にとってポピュラー音楽のこのサイクル、始まりはやはり戦後なのだろう。そして1960年代があり1970年代があり1980年代があり…と続いてきて、「さすがにもう煮詰まったよ」という実感は、年代をかなり超えて共通だろう。
たとえば近代小説や映画の始まりを知っている人はほぼ死んでいるだろうが、テレビや20世紀ポピュラー音楽の創世期を知っている人はまだ多いだろう。その人たちの体験は貴重だが、今の私たちのように その果て もしくは終わりを生きるのもまた、捨てがたい面白さがあるのではないか。
ではその類推から1つ問いかける―― 音楽に限らず、戦後再生していく日本のすべてを見てきた世代に負けず劣らず、その果て もしくは終わりにこれからつきあわされるかもしれない世代もまた、捨てがたく面白い見物ができるんだと、そう思ってもいいか?