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【2019 輪廻転生】

一筋に流れる意識は一筋に流れる言語が支える?


「動物も人間のような意識を持つのか」さらに「人間だけが言語を持つことはそれにどう関係するか」という問いがある。それに関してこの間ふっと思った。脳の神経細胞のネットワークは分散・並列で働いているのに、意識はそうでなく一筋の流れとして自覚される。それは言語がそうだからではないか!?

仮に、神経細胞全体には中心的な一筋の流れは見つからず、生物の脳としてもそんなものを必要としないのだとしたら、一筋に流れるという性質は言語だけが備えている性質であり、その言語の使用に影響されて初めて、脳の内部にも一筋の流れである意識というものが浮上したのではないか、ということ。

ではなぜ、私たちの言語は一筋の流れという性質をもったのだろう。生物の脳が分散・並列でしかないのなら、分散・並列に流れる言語が私たちに備わってもよかったのではないか?

すると、私たちの言語が一筋の流れになったのは、たまたまなのか。それとも、言語や意識や思考というものは、そもそも分散並列ということが「ありえない」ということはないか? つまり、地球上の他の生物または地球外の生物が、もしも言語を持ったとき、その言語もやはり分散並列はありえない?

まあ、脳の仕組みや宇宙の仕組みはわからない。ただ、たとえばこのツイッターだって、分散並列で書いたり分散並列で読んだりなんてことは、とても想像できないのは事実だ。分散並列させた言語表現というのも、ありそうで、まずない。私たちの言語は事実として一筋の流れにしかならない。

じゃあ、言語はちょっと置いておいて、意識や思考そのものが分散並立しているということが、あるかというと、ぼおっとしているときというのは、案外そんなものなのかとも、思う。ということはやっぱり、言語に影響されて初めて意識や思考が一本の流れになる、ということは、ありそうなことだ。


<応答>
@tmichiaki そういう点では、逆に、100人全員が全員の意識や思考を1個とみなす状態もありえるような気がしてきますね。どっちが錯覚かはわからない、ということになりますか。ただ実際には、1つの体を操作できる範囲を1つの意識とみしているということはあるでしょうね。

@tmichiaki いや、みちアキさんが言うのは、意識がどう成り立っていようが、「意識は1個のものとしてしか自覚できない」という原理でしょうかね。なるほど〜。他人の痛みがそもそも実在できないかもしれないように、100人の痛みなんてのもまた、そもそも実在できないのかもしれない。

https://twitter.com/tokyocat/status/677999826223497221