★罪の手ざわり/ジャ・ジャンクー(2014)=劇場=
早稲田松竹で見てきた。徹頭徹尾「中国すぎる」。こんなの絶対中国にしかないだろうというものばかり全画面を埋めつくす。景色も人物も出来事も。日本で何が起ころうと最近はことごとくたかが知れている気がしてあまり驚かないが、世界はもっと広い。というか、中国が広い。
映画の完成度が高いとも感じた。完璧だ。たとえば現代中国製の物品(衣食住というか)ならば相変わらずの粗末さで、それは映画をみていても当然感じられるわけだが、この映画はいわばその正反対なのであり、最高峰のプロダクトだ。京劇も馬車も中華娯楽場も見事に映える。
ワン・ビンのほうはいわばダダ漏れ的に中国すぎる。社会的政治的な生を奪われた「剥き出しの生」という概念があるが、これがそれかなとため息をつくしかない。眺めのよい山の斜面では羊が草を食んでおり、よそ者の旅行者になら、いわゆる私たちが忘れてしまった心洗われる風景でありすぎるけれど、彼女たちには何らの糧にもならない。
★私の、息子(ルーマニア 2014)=劇場=
旅行したルーマニアの映画がベルリン映画祭の金熊賞をとったということで、早速見てきた。川崎市アートセンター。
ヒロインの息子は車の事故を起こし土地の子どもを死なせてしまう。ヒロインは息子の罪や損害をどうにか減じようと奔走する。最後にはぐずぐずしている息子の背中を押すようにして、死んだ子の親族のところへ許しを請いに向かう。そんなストーリー。
街の光景も人々の振る舞いも異国の印象が濃かった。旅行時にはさして感じなかったことだ。それと、ルーマニアの人が他人に謝罪をするその様子が、日本の場合とはやっぱり違うなあという点が興味深かった。
ルーマニア映画は『4ヶ月、3週と2日』を昔見た(感想)。これまたひどく深刻で暗い話。旅行では触れなかったルーマニアのダークサイドということだろう。
★インターステラー/クリストファー・ノーラン(2014)=劇場=
→ http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20141208/p1
★プロメテウス/リドリー・スコット(2012)
インターステラ−では「人類の起源って何だろうね」という問いにもふと思いが及んだわけだが、プロメテウスこそそれを真正面から問うのだろうと冒頭では期待した。が、そうした映画ではなかった。見どころは異星の風景や化け物との戦闘における大迫力映像に限られる。筋の展開に無理がありすぎることもよく指摘される。あるブログの感想で「登場人物の誰にも感情移入できない」というのがあったが、それもそうだった。
★エイリアン/リドリー・スコット
プロメテウスはエイリアン外伝という位置づけになろう。その始まりのこの映画を、テレビ放映でしか見たことがなかったので、改めて借りてみた次第。エイリアンは人の腹を破って出てくるシーンがやっぱり最も不気味だ。
★嘆きのピエタ/キム・キドク(2013)
岸本加世子が出てきたので驚いた。台詞も違和感がない。「韓国の北野武」と言われる監督だからなあと感心。ところがエンドロールに名前が出ない。実は韓国の女優だった。似ていることに驚く前に、岸本加世子に似た人であるという発想を持たなかった自分に驚こう。
(過去の自分の行為に「驚こう」と自分に命じるというのは、奇妙な表現だ。「文学的」だ!)
それにしても韓国映画(Disk)を久しぶりにみた。不況どん底のいわゆる町工場が並ぶ一角が舞台。全体の色調が鋼の色という感じ。清渓川という川に沿った場所という。ソウルにあって晴れがましさの正反対だ。この目で見てみたいロケーション。
過去にみた『殺人の追憶』『チェイサー』『母なる証明』『ペパーミント・キャンディ』『シークレット・サンシャイン』などを思い出す。この徹底した陰惨さ、ハッピーエンドをまったく考慮しない姿勢が、ああ韓国映画だ、ああ久しぶりだと懐かしい。長く行ってないソウルの街のように懐かしい。
嫌韓ムードの煽りかもしれないが、東京にいてソウルの存在を忘れているのは、東京にいて大阪や名古屋の存在を忘れているようで、じつに惜しい。
★幸福の黄色いハンカチ/山田洋次(1977)
健さんが亡くなった年、テレビ放映された。何度見ても飽きない。話の筋も人物の性格と演技もじつにピタリと決まっている。1977年。キャンディーズ解散、王貞治ホームラン756号。夕張のすでにさびれた炭鉱町の風情。
寡黙で「不器用」な高倉健、この映画では2回だけ笑う(私調べ)。1回は子どもが生まれたら鯉のぼりを飾ろうと話すところ。もう1回は見逃しやすいが、倍賞千恵子が独身だと知ってスーパーから出てくる瞬間。
ラストの2人のロングショットは、『恋恋風塵』のラストに受け継がれかのよう。
高倉健の映画、これはまだ見ていなかった。最低の評価が揺るぎなかった角川映画の初期作品の1つ。中盤以降のグダグダ展開を目の当たりにして、それは仕方ないと納得した。ともあれ、豪華すぎる出演者と大掛かりすぎる戦闘シーンを楽しめばよいのだろう。高倉健のストイックな魅力は十分にあふれている。薬師丸ひろ子のデビュー作でもある。
★不連続殺人事件/曽根中生(1977年)
ずっと見たいと思っていた。DVDは最近やっと出たようだ。
原作は坂口安吾で、正真正銘の本格推理小説なのに、安吾の独特の口調そのままで語られるのが面白く、しかもその語り口自体が実はトリックの構築に一役買っていると言えるところがまた独特。
映画はほぼ原作どおりで懐かしかった。
人里離れた大きな屋敷で繰り返される殺人という点は、横溝正史のミステリーとも共通するが、こちらは推理劇としての質がはるかに高い。(横溝ミステリーはトリックがこけおどしというか子供だましというか、いつもそんなふうなので、映画を見終わったあとの残念感が避けられない)
★太陽はひとりぼっち/ミケランジェロ・アントニオーニ(1962)
アントニオーニはこれまで見たことがなかった。「愛の不毛三部作」というか、ストーリーの不毛というか。しかしそんなことはまったくどうでもよく、モニカ・ヴィッティの物憂いムードにつきる。アラン・ドロンもかすむ。というか、監督はひとえにこの女優を撮るためにストーリーやロケーションを決めたのではないか。とはいえ室内も戸外もシーンはみな面白い。けっこう長々と続く証券取引所の喧しいシーンにもわけもなく引きこまれてしまった。
★ブルーベルベット/デイヴィッド・リンチ(1986)
私にとっては古き良き80年代のアイコンの1つ。青い空、白い柵、赤い花。
こちらはちゃんと見たことがなかった。とりあえず第1シーズンだが、謎を完全に解いて終わらせる気はないなと疑わせるには十分。
★薔薇の名前(1987)
修道僧たちの異様な風貌が中世という時代のわけのわからなさへの想像を誘う。何度目かの鑑賞だが、今年はマクニールの『世界史』でキリスト教のことをいくらか考えたことがあっていっそう興味深かった。
なお、人々の知識と生活のごく身近にあった神とその信仰については、原作が限りなく深く掘り下げていたはず。とても苦労しながら読んだが、また浸りたくなった。
★それでも、生きてゆく(2011)=TVドラマ=
『最高の離婚』の瑛太の主演、坂元裕二の脚本ということで見た。他に比較できるドラマが思いつかないほど感動。感想は→ http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20140306/p1
以下2作も続けてみた(同じく坂元脚本)。やはり忘れがたい傑作。
田中裕子のうっかりさん。
小林薫のなまけものさん。主演は『それでも、生きてゆく』と同じ満島ひかり。
★男女7人夏物語(1986)=TVドラマ=
★男女7人秋物語(1987)=TVドラマ=
明石家さんまの強烈な個性がとりわけ群を抜いていた頃か。しかも大竹しのぶの個性はさらにそれを上回る。おまけに、この2人がリアルに結婚するのに立ち会ったなんて、まさしくドラマそのもののごとき時代を生きていたという気がする。80年代のめいっぱいおしゃれなマンションの部屋とベランダ。
↑ 映画DVD鑑賞記録 2014年 (1) http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20141016/p1
↓ 映画DVD鑑賞記録 2015年 (1) http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20150502/p1