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【2019 輪廻転生】

おまえのゲノムでは無理なのだ



これだけで話せる!人間語」――というタイトルではないが そんな主旨の論文をチョムスキーは2002年に発表した。その共著者の一人にマーク・ハウザー(Marc Hauser)という人がいる。どんな人かと思っていたが、日経サイエンスに「知性の起源」という記事を書いていた(2009年12月号)。

これがじつにうなずける記事だった。

なにより、知性は人間だけがぶっちぎりだとしみじみ述べるところから、そうだそうだと言いたくなる。

さらに、その人間の脳の特徴を4つにまとめる。生成計算能力、思考を自由自在に組み合わせる能力、理知的シンボルの使用、抽象的な思考。 そして、これらは要するに何が独自なのかと問い、やはり言語能力、とりわけその再帰性に注目している。(再帰性とは、文の中に同じような文を入れることでいくらでも複合化できるようなこと)

これはチョムスキーの主張と同じだと思うが、ハウザーは、ではこの独自性はいつごろいかにして出現したのかと考察する。

とはいえ、その解明には「神経生物学が役立つと私は考えている」と言うから、当たり前過ぎていったん拍子抜けするのだが、その意味するところが実に深いのだ。

どう深いかというと―― 

まず、どうやらハウザーは、霊長類の祖先から言語をもつ人類への進化は、連続的ではなく断続的な変化だとみている(チョムスキーもずっとそう考えてきたとされている)

もちろん、断続的とはいえ、人類が別の星から飛んで来たと考えるわけではない。そのときのゲノムの進化がきわめて特異的・飛躍的だったという意味だろう。

そして、どのように特異的・飛躍的であるかは、脳の遺伝子がどのように人間の知性を作りあげているかの解明によって将来明らかになると、ハウザーは言うので、これまたそりゃそうだろうと思うのだが、深いと感じたのは、ゲノムの解明と並行する話として、進化が特異的・飛躍的であることの証明を「進化の当事者たる生物自身の実感」からも垣間見ようとしている点だ。というのは――

ハウザーは《人間の知性はこれ以上進まないところまですでに高度化したのだろうか》と問い、以下のように結論づける。

《別の可能性を想像する人間の能力には明らかな限界がある。
 人間の知性が考えうることにそもそも制約があるのならば、「型破りな考え方をする」という言い方はまったくの誤りだ。私たち人間は、型を破ることは絶対にできず、別の可能性を思い浮かべる能力には限界がある。したがって、チンパンジーが、自分が人間だったらどんな気分がするかを想像できないのと同じように、人間は、自身が知性をもつ宇宙人であるとはどのようなことであるかを想像できない。いくら試みても、「人間の心」の型から離れることはできないのだ。
 型を破る唯一の方法は、進化によって変わること。つまりゲノムの大規模な再編成と、まったく新しい神経接続の形成、そして新たな神経構造の構築が起こることだ。そうした変化こそが、敬意や好奇心、さらには地球上で自分たちが唯一無二の存在であるという感覚を備えた新たな知性、すなわち今日の私たちの知性が、あたかも大昔の知性に見えるような新たな知性を誕生させる可能性があるのだ》


なるほど……

そもそも、「人間の知性とは登るところまで登りつめた知性なのではないか」という問い自体に私は非常に大きな関心がある。しかしそれを超えてハウザーの記事は、初めてこう実感させるのだ――その問いの答えは「絶対わからないのだ」と。「おまえのゲノムでは無理なのだ」と。知性のゲノムがマジに進化したとき、知性は必ず断絶する、ということになろうか。深いため息をつくしかない。


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ツイッター日経サイエンスをフォローしたところ、こうしたバックナンバーも含めた興味深いトピックがキャッチーなフレーズとともにどんどん流れてくる。記事は個別にネット購入できる。けっこうな値段がついていて商売上手だと思うのだが、実際こうした良質の記事には希少価値があり、これまで一過性で埋もれていたのはもったいなかった。

https://twitter.com/NikkeiScience
http://www.nikkei-science.net/modules/flash/index.php?id=200912_038
 日経サイエンス 2009年 12月号 [雑誌]

(経済リソースの分配が不当に少ない市民には図書館で借りるという手もあります)


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この号の日経サイエンスは、「起源」に迫る という特集で、知性のほか、宇宙の起源、生命の起源、コンピュータの起源についても記事もある。

前も書いたが、宇宙の起源というと難解であるだけでなく存在しない可能性もあると私は思う。つまり、そもそも宇宙が始まったという事実がないとしたら、どう始まったのかはわかるわけがない。それに対し知性の起源は必ずある。つまり、人間でなかった動物がいつしか人間になったことについては、解明がいかに難しいとしても、そうなった事実は必ずあるだろう。

そう思うと、たとえばヒッグス粒子暗黒物質といったフィクションっぽくもある話以上に、私はやっぱり「知性の進化」「言語の起源」といったストーリーに惹かれる。ノーベル賞も物理学賞ばかり騒がれ過ぎではないか。チョムスキーやハウザーといった人がノーベル賞をとることはないのだろうか。何学賞? ちなみにハウザーは1959年生まれでまだ若い。(あとから知ったが、マークハウザーは論文不正が発覚し2011年にハーバード大学教授を辞職したとのこと。びっくり)


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関連エントリー
 ◎http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20130303/p1(言語論2013〈第1夜〉)
 ◎http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090525/p1(否定や疑問こそ言語の本質ではないか)