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【2019 輪廻転生】

人生は脳と体が刻む


われわれは、脳で思考することと体で体験することの2つがそろわなければ「人間的」とは形容しないだろう。相手であれ自分であれ。

もちろん、人間を生命や意識のシステムとして見るなら、「体・体験・物質」から脱し「脳・思考・情報」だけの存在になっていくのも、広義の進化としてありえるだろう(進化と呼ぶか退化と呼ぶかはどちらでもよい)

とはいえ、現在のところわれわれは、体や物質だけで人生を刻んでいくわけではないものの、脳や情報だけで人生を刻んでいくわけでもない。だから、どちらか一方だけを軽んじたり蔑んだりしないほうがよかろう。

そしてそれを考える際、現代人は「体・体験・物質を軽んじるな」というお叱りはわりと聞かされてきた。だから近ごろは反対に「脳・思考・情報を軽んじるな」というお叱りがあれば、かえって新鮮で素直に受け入れてしまうのではないか。

ところがそれをもう一度反転させ、「やっぱり体・体験・物質は軽んじるなよ」と主張しているのが、cakes(https://cakes.mu/)にある「検索ワードをさがす旅」という連載記事(東浩紀)ではなかろうか。

→ 書籍化? asin:4344026071


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しかしながら、人類は情報的にはインターネットやグーグルによって「魔法のランプ」か「打ち出の小槌」を手に入れたのだ、と言いたくなる昨今だ。物質的とりわけ食糧的にもそうなったらいいのにと夢想するが、考えてみれば、遥か昔、農業の誕生はすでにその夢想の実現だったのか……。

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なお、いかなる生物であれ生命や意識の土台としてなんらかの物質はどうしても必要だろう。あるいは電気などのエネルギーもやはり必要だろう。しかしそれは、私たちの身体と体験もまたその土台として恒星や惑星や水や酸素を必要とするのと同じく、当たり前の前提でしかない。つまり、現在の身体人間も将来の情報人間もこの宇宙が土台でないわけはないのだ。

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ちなみに、養老孟司がこんなことを書いていた。情報がなくて物質だけがある状態が「脳死」なら、物質がなくて情報だけがある状態、それが「幽霊」なのではないか、と。まったくいつも実に示唆的なことを養老さんは言う!