いつも最善をつくしたいと思いつつ、いつも最善をつくせない。ぱっとしない。ただ、最悪というほどではない。そんなかんじでずっとやってきた。1年や2年ならいいが10年や20年だ。人生はそういうものだとしか言えない。
つねに最善をつくさないと壊滅してしまうような人生なら、設計思想が間違っている。
実際、そこそこ頑張ればそこそこの結果が出てどうにか次につながる。命まではとられない。大半の人や大半の事はそんなかんじで続いていく。
それでも、もし何か本当に深刻なアクシデントが起こったら私はもはや耐えられないだろう。そんなイヤな予感のなかで毎度やっているのも事実だ。
本当に深刻なアクシデント。仕事にそれが起こる確率は? 健康にそれが起こる確率は? 東京の地盤にそれが起こる確率は?
何が言いたいか。本当に壊滅するほどの危機はめったにないが、ごくまれにはあるということだ。東北はそれに見舞われた。私がそれに見舞われないのは、最善を尽くしているからではなく、ごくまれだからだ。
しかし、いつもいつも同じようにごくまれではない。たとえば東京の地盤はこの50年くらいで今最も危なくなっているのではないか。
私の人生はどうだろう。もっとも危ない時期は? もう過ぎたのか。まだずっと先か。この週末とかいろいろ危機的なんだけど、今がそうではないことを祈る!
来週の仕事に今からへこんでいる私はさておき、今後の人生に大いにへこんでいる被災地の方々に、せめて一言。「おれはだめだ」と落ち込むより「あいつのせいだ」とむかつくほうが元気につながると思います。