東京永久観光

【2019 輪廻転生】

言語論的回転寿司 (2)

天が裂けるというのは大げさだろうか。

フレーゲは、「結局それが何を明らかにするのか」という観点から言語を考え抜いたと思われる。たとえば「ソクラテスは人間だ」あるいは「ソクラテスは死ぬ」。こう述べることで何が明らかになるのか、と。

フレーゲはだいたいこう考えた。「人間だ」あるいは「死ぬ」という表現は、「〜は人間だ」「〜は死ぬ」という形をしている。空欄「〜」には個体の名が入る。そうして出来上がった文では、「真=正しい」または「偽=間違っている」のどちらかが決まる。

たとえば、「〜は人間だ」に「ソクラテス」を入れれば「真」が出てくるが、「ミッキーマウス」を入れれば「偽」が出てくる。「〜は死ぬ」なら「ソクラテス」を入れれば「真」、「ドラえもん」を入れれば「偽」。(「荒川修作は死ぬ」も真偽が決まらなければ宙ぶらりんの文だ)

すなわち、「人間だ」「死ぬ」という表現は、「xは人間だ」「xは死ぬ」という「関数」なのである! (ここで天が裂ける)

ツッコミどころはある。

「ふざけるなバカ」とか「よろしくおねがいします」とか、べつに真でも偽でもないけど? たしかにそうだ。フレーゲは、記述文というか平叙文というか命題文というか、そうした種類の文だけを対象にしたのだ。(たとえば、「腎臓が何をしているのか」と問われ、細かい役割をいったん忘れることで、「尿をつくる」という中心の役割を見抜いた、ということに近いのかもしれない)

xには個体名しか入らないわけ? たとえば「〜は死ぬ」に「人間」は代入できないのか。できない。なぜなら「人間」は個体名ではないからだ。でも「人間は死ぬ」という表現だってあるじゃないか。たしかにそのとおり。しかしここからは、さらに大変なことが明らかになる。

ソクラテスは死ぬ」と「人間は死ぬ」はいわゆる文法としては同じかもしれないが、上記にいう関数としては別の形をしているのだ。すなわち。「人間は死ぬ」には「xは人間である」と「xは死ぬ」の2つの関数が隠れている。そしてそれらが「すべてのxについて、xが人間である、ならば、xは死ぬ」という形で結びついたとき、「人間は死ぬ」という文になる。

加えて、たとえば「ネコが寝ている」という文はさらに別の形をしている、ということも示される。「xはネコである」と「xは寝ている」の2つの関数が隠れているのは同じだが、「あらゆるxについて、xがネコであるならば、xは寝ている」という結びつきではなく、「ネコであるxがあり、かつ、そのxが寝ている」という結びつきをしているのだ。

ここまで一般化できると、ついには記号として表すことも可能になる。

xは○○である(例:ソクラテスは人間である):f(x)

あらゆるxについて、xが○○であるならば、xは△△である(例:人間は死ぬ):∀x{f(x) → g(x)}

△△であるxがあり、xは○○である(例:ネコが寝ている):∃x{f(x) ∩ g(x)}

(注意:最後の「ネコが寝ている」については、「あらゆるxについて、xがネコであるならば、xは寝ている」でよいのか、また、∃x{f(x) ∩ g(x)}でよいのか、ちょっと自信がなくなってきたので、ちゃんとした本などを参照されたし)

フレーゲは、言語というよりむしろ論理を研究した人とされる。論理とは、われわれがものごとの理屈を考えるとき、必ずこうなっているよなあという理屈の骨組みと言っていいだろう。じつは、論理学(理屈の骨組みがどうなっているかの考え方)は、古代ギリシャアリストテレスが作った三段論法が長くお手本とされてきたのだが、19世紀末になってフレーゲ1人がやっとそこから抜け出した。それはまさに天が裂け地が揺れるほど偉大な一歩だった。私ではなくみんながそう思った。「現代」の名を冠した論理学がここに誕生したのだ。(アリストテレスの命題論理に対してフレーゲの述語論理とも呼ばれる)

そうした研究のなかで、言語もまた、必ずこうなっているよなあというなんらかの骨組みが見出されたということなのだろう。すなわち、文はどんな組み立てになっているのか、あるいは、何をどのように白黒つけることが言語の役割なのか。もっと言うなら、「われわれは言語を使うことで、この世界を、多様に区分けしているのではなく、じつは一様に区分けしているのであり、その区分けの原理がこれなのですよ」ということだろう。

なお、フレーゲは、数を数えたり足し算や引き算をしたりするときの規則というものを、どうせなら論理(ものごとを考えるときの骨組みの規則)によってすべて置き換えられないか、といったことを思案するなかで、この新しい論理学に至ったようだ。数学・論理・言語の3つの謎がたぶんそこで出会っている。これまた注目せずにはいられない。

実をいうと、今回の勉強によって、言語哲学フレーゲから始まるこうした言語のとらえ方)に対しては、根本的な違和感も微妙に湧いてきている。しかしともあれ、ここでの結論は「フレーゲ、すごい!」に他ならない。現代の知識への貢献度はダーウィンアインシュタインに匹敵するだろう。その最初の著書は『概念記法』。この名がまたキマっているではないか。asin:4326148209


*補足:ここに書いたことはフレーゲに加えラッセルによる理論もあると思われる。


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