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【2019 輪廻転生】

限りなくあやふやだが限りなくがんこな常識


シマウマも刺されれば人間と同じように痛いものの、ライオンが「悪い」とは考えないように、シマウマが「悲しい」とも考えないのではないかと、私はひそかに思っているのだが、それはさておき。

産経は最近こうした殺人事件の裁判記録を詳しく報じる(下)。これほど長い文章は新聞紙だと難しいがウェブなら大丈夫ということで、まさに特性が生かされている。それにだいいち、こうしたことは詳しければ詳しいほどより正確に理解できる。というか、通常マスメディアが報じている分量のほうが、あまりに少なすぎるのだ。産経のこの方式は今後支持されて普及するように思う。

ただ、それでも言っておきたいのは、「私がこれほど詳しく知りたいニュースって他には何もなかったんだっけ?」ということだ。そしてまた、報じるほうも読むほうも日々費やすことのできるリソースは限られている、ということだ。

私は、たとえば阿久根市の市長と市役所職員それぞれの言い分のほうが、金川被告の言い分よりはもっと知りたい。イラクアフガニスタンパキスタンの爆弾攻撃の実行者が、敵をシマウマのようなものだと思っているのかどうかについても、これほど詳しくは無理だとしてもほんの少しくらいは知りたいと、常に思っている。

もうひとつ。金川被告くらいになるとその家族ともどもプライバシーはもはや存在しないのかという疑問。一般に、事実に正しく迫るためにプライバシーが少々犠牲になることはあるのだろう。ただその場合、あえてプライバシーを踏み越えてでも何かを報じようとしているその組織や人が、そもそもどれくらい信用できどれくらい尊敬できるのかと問いたくなる。広く報道機関と記者に、そして特に産経新聞という報道機関とこれを書き写した記者に、私たちはそうしたことを丸ごと預けてしまっていいのかと問いたい。

あとやっぱり、この被告はシマウマでもライオンでもなく人間として逮捕され人間として裁判を受けている。人殺しはあまりに救いのない行いだが、死刑もまたあまりに救いがないと改めておもう。そもそもナイフや爆弾で人を本当に殺してしまう人の気持ちは私にはなかなか想像が難しく、ましてこの被告の心情なんていっそう想像しがたいと感じてしまうけれど、それでも、シマウマやライオンの心に比べたら明らかに想像の余地はある。


 *


弁護人「あなたは良いことと、悪いことは区別できますか?」
金川被告「常識に照らせば」
弁護人「殺すことは悪いことですか」
金川被告「常識的に考えて、悪いことです」
弁護人「常識を取り外せばどうなるのか」
金川被告「善悪自体存在しません」
弁護人「人を殺すことはどういうことだと考えていますか?」
金川被告「蚊を殺すことと同じことです」
弁護人「蚊? 蚊とは虫のあの蚊ですか」
金川被告「はい。蚊を殺すのも、この机を壊すのも同じです」
弁護人「同じことですか?」
金川被告「同じことです」
弁護人「殺される側の気持ちは分かりますか?」
金川被告「常識を通して考えれば分かります」
弁護人「(殺される人の)苦しみは感じますか?」
金川被告「常識を通して考えれば分かります」
弁護人「なぜ殺される人は嫌だと感じるのでしょうか?」
金川被告「自分に都合が悪いから感じるのでしょう。拒絶したくなると思います」
弁護人「殺された人の周りの人。家族とか友人はどう考えるかな」
金川被告「まあ悲しくなるでしょう」
弁護人「それは理解できるの?」
金川被告「常識を考えれば」
弁護人「あなたは常識とさっきから話しているが、常識を取っ払えば、罪の意識とかは感じるの」
金川被告「感じません。ライオンがシマウマを食べるとき、シマウマに悪いと感じるのでしょうか」
弁護人「ライオンと同じ?」
金川被告「そうです」
弁護人「殺される人はシマウマ?」
金川被告「そうです」
弁護人「私はシマウマにはなったことはありませんが…たとえばシマウマの子供が食べられたら、その親は悲しむんじゃないですか?」
金川被告「動物でも悲しくなると思います」
MSN産経ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090603/trl0906031459018-n1.htmの前後より)