東京永久観光

【2019 輪廻転生】

安楽死と寝たきりをめぐって

十分に理解はできないが、とても気になる連投だった。おおよそ同世代というのも影響している。

https://x.com/kumatarouguma/status/1822513017071788068

(この前後の一覧のツイート。再表示は難しい)

 

先日『いずれくる死にそなえない』(名郷直樹)という本を読み、その影響が長く渦巻いているため、直接はあまり関係ないが敏感になっているのだろう。

 

同じくこちらも関係なくはない程度だが、同じ渦のなかで、映画『PLAN 75』を昨日再鑑賞した。

 

ともあれ私のなかでは、上記3つは大いに関係が深い。

謎かけだけしても仕方ないので端的に言うと、寝たきりの問題、安楽死の問題について、私の頭のなかでいろいろ考えが渦を巻いていた。そこに「共同体や親子を欠いたら実は人生は無理なのか?」とでもいった問いが絡んできた、という感じの、日本の夏、お盆の夏。

 

それはそれとして、『PLAN 75』は映画作品として際立って素晴らしいのではないかと改めて感じいった。磯村勇斗河合優実の『不適切にもほどがある!』コンビが全然異なるキャラで出ているのも鑑賞のしどころ(というか『不適切』に出会ったときの驚愕のしどころだった)。

この映画をみる体験が良すぎて、安楽死ということをふと思いついてしまう現在日本の状況は狂気と言うようなことばかりではないだろう、むしろ「PLAN 75」ぐらいの制度だったらアリなんじゃないのかーー私はそんなふうに思ってしまったし、同じ感想だった人は少なくないのではないか?

しかしながら、なんといっても、「さくら」だった倍賞千恵子さんが、現在の実像かもしれない姿で演じられていて、歳月は流れる・人は必ず年をとるという事実を、いやおうなく伝えてくる。

 

そうした逼迫した気分に対して、『いずれくる死にそなえない』は、寝たきりでいいじゃないか、むしろ寝たきりになりましょう、と励まし、あるいは、慰めの声をかけてくる。ずいぶんと気が楽になる。それでいて、老いと死の現実から逃げない覚悟の呼びかけでもあろう。

 

(続く)