東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ウィキペディアの乱


アサヒコムの記事:ウィキペディア頼み、誤答続々 米大学が試験で引用禁止(2.23)
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/international/update/0223/002.html
バーモント州にある名門ミドルベリー大学の史学部が、オンラインで一定の利用者が書き込んだり修正したりできる百科事典「ウィキペディア」を学生がテストやリポートで引用することを認めない措置を1月に決めた。日本史の講義をもつ同大教授がテストでの共通の間違いをたどったところ、ウィキペディア(英語版)の「島原の乱」(1637〜38)をめぐる記述にたどり着いたことが措置導入の一つのきっかけになった


 *


ウィキペディアで皆がそろって間違えてしまう、
その典型例というところか。


とはいえ、日々のテレビや新聞もしばしば間違っている。
書物の記述だって間違いがまったくないとは言えないし、
かりに間違っていても、
その書物自体が注意・訂正してくれるわけではないのは、
ウィキペディアと似ている。
(いや、ウィキペディアは場合によってはそれ自体が訂正されるから凄い!)


ウィキペディアは調べるのが簡単だからダメ、
と思われているフシもある。
でも簡単なのは悪いことではないだろう。
書物も、それがなかった時代に比べたら、
ものを調べるのにきわめて簡単な道具だ。


結局、
ウィキペディアは今はまだ定評ある書物ほどには信頼できない、
それが現況です、ということか。


そのうち
ウィキペディアがあらゆる書物を超えた信頼を保つようになれば、
調べものとしての書物はいよいよ不要になるのかもしれない。


とはいえ、
教養や知識とは要するに書斎に積まれた書物のことを指す、
という事実とイメージは、そう易々と覆るものでもないだろう。
グーテンベルク銀河の崩壊を私たちが本当に目撃するのは、
あとどれくらい先だろう。


*以下参考


話を大袈裟にしてみると、ある時期から長いあいだ、人間の精神的な営みのほとんどは、印刷というテクノロジーと書籍という媒体に圧倒的に依存して作られ積みあげられ広がってきた。森羅万象のイメージすべてが、つまるところ本という形態とその特有のクセを介してしかアクセスも獲得もできなかっただろう。ところが現在のインターネット生活はやっぱり違う。ごく単純なことでいえば、たとえば「オリンピックの歴史とは」「アメリカ大統領選挙の行方は」という時に、「グーグル」で調べがつく、「はてな」に問うことができる。また自分が「ブッシュ逝ってよし」と思ったなら、それはそのまま文字化でき、原理としてはグローバルなブラウズやディスカッションが即座に可能になる
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20040903#p1


グーテンベルクの銀河系』という著書がある。どうやら、そのグーテンベルクの印刷術がもたらした激震の意味を考え抜いている。書物がことごとく手で書き写すしかなかった時代、読書とは声を出して行なうものだったり、記憶を目指して行うものだったり、といった事情を、無数の資料を滑空するかのようにして追想していく。そして、そこに訪れた「印刷術の出現」は「文字の出現」にも匹敵するとマクルーハンは考える。/そんなわけで、「アマゾン全文検索」や「ブログの出現」は、それに匹敵する激震じゃなかろうかと思うのだ
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20031029#p1