冷蔵庫のビールや戸棚のお菓子が、さほど好みでなくても結局なくなってしまうように、本棚に新しく本が入っていると、電車に乗った暇つぶしに、眠れない夜のお供にと、案外次々に読み尽くしてしまうものだ。
『啄木 ローマ字日記』桑原武雄編訳 岩波文庫
だからさしたる動機もなくて読んでいたのだが、次のような記述を見つけて、あっと思った。
《なにをすればよいのか 分からぬが、とにかく なにか しなければならぬ という気に、うしろから 追ったてられて いるのだ》
1909年4月10日の記。石川啄木、23歳。私もきっとそれくらいかもう少し若いころ、間違いなくそんなふうに日記を書いた。完全に同じ文面だったかと思えてくるほどだ。
こんな一文をつい日記に残してしまうのが、今も昔も変わらぬ青年の証し。日本の近代をうろうろしてきた青年の数といったら、当然あまりにも多くて意味をなさないが、とにかくそれぞれはこっそりと、こんなことをつぶやいたり紙片に綴ったりしてきたにちがいない。
桑原武雄はこう断言している。「なぜ人々は啄木を愛読することをやめないのか。そこに純粋な青春があるからである」。この本の魅力というなら、まったくその通りだとおもう。
では、上に引いたような一文を日本で最初に日記に書いた青年は、誰だったのだろう、などということを考えた。啄木はその最有力候補だろうか。
それと大いに関連し、桑原武雄は面白い問いを投げかけている。
「'自意識'という言葉は、誰がいつごろ使い出したのか。識者の教えをえたいが、啄木はそのもっとも早い使用者であろう」
で、そういう青年の自意識を、ローマ字で書き表したことについては、妻が読めないようにという話だけでなく、根本的に興味深い考察を示す。ローマ字表記は旧来の倫理や文学の抑圧から逃れることを可能にしたというのだ。
「それらから逃れて、この日記のうちに彼は一つの自由世界をつくることによって、その世界での行動すなわち表現は、驚くべく自由なものとなりえた。露骨なことも無遠慮に書けた、というだけの意味でなく、むつかしい雅語や漢字の表現からの脱却が可能あるいは不可避となり、そこに自由な新しい日本語の表現法が見出され、以後、啄木が、漢字かなまじり分で書くときにも、文体に自由さをまし、民衆的にして新鮮な表現をなしうることとなるのである。この意義は、今まで指摘した人はいないが、きわめて大きい」
それにしても、上に引いた(私の?)一文、今にして思えば、絶望がむやみに切迫しその確信はやたらに明瞭だ。まあ「単純で思弁的」とも言い換えできる。でも、青年も中年になれば、希望がいっそうどんよりするのと同じく絶望もなんだかはっきりしなくなるものなのである。
話はちょっと飛んで。
TBS『ニュース23』のテーマ曲「to U」を、ミスチルの桜井和寿とsalyu ( サリュ )という女性シンガーが歌っている。先日テレビで見た。きょうも見た。こうしたアートっぽい展開のセンスというなら、今なお『ニュース23』はダントツで私の好みに合う。いやホントにいい歌だ。桜井とsalyuの歌唱はどちらも素晴らしい。どれほどクセがあってもやはり聴きごたえのほうが勝る。作曲は小林武史。この人はあまり有名にならないみたいだが、いつも非常に巧みに曲を作り同時にユニットも作っているとおもう。この歌と演奏もさすがだと言いたい。
で、「to U」のシングルCDには「生まれ来る子供たちのために」という曲がカップリングされている。小田和正が作り1979年にオフコースとして発表した。桜井の歌声で聴いて、なんだずいぶん名曲じゃないかと思い直してしまった。なぜ昔はそう思わなかったのだろう。もしかして歌詞がちょっと大げさな言葉づかいだったからではないか、などと考える。
《多くの過ちを僕もしたように
愛するこの国も戻れない もう戻れない
あのひとがそのたびに許してきたように
僕はこの国の明日をまた想う》
ほら、やっぱりこんなかんじで歌い出す。ちなみに「思う」をわざわざ「想う」と一度は日記に書いたことのある青年は、98%にのぼる。
《君よ愛するひとを守り給え
大きく手を拡げて
子供たちを抱き給え
ひとりまたひとり 友は集まるだろう
ひとりまたひとり ひとりまたひとり》
ふ〜む、というかんじだ。79年に小田和正は32歳を迎えている。さして若くないのだが、この歌詞はやっぱりいかにも「青年にありがちな老成」のように感じられる。
では、件の「to U」はどうだろう。
《愛 愛 本当の意味はわからないけど
誰かを通して 何かを通して 想いは繋がっていくのでしょう
遠くにいるあなたに 今言えるのはそれだけ
悲しい昨日が 涙の向こうで いつか微笑みに変わったら
人を好きに もっと好きになれるから
頑張らなくてもいいよ》(桜井和寿作詞)
どうだろうか。私はなんだかこの歌詞はとても好きだなあ。いやもちろん、一度聴いてしまったから歌声やメロディーともう切り離して読むことはできないのだけれど。「頑張らなくてもいいよ」が特にというわけではないのだけれど。
話が飛んで戻って来なくなってしまった?
『ローマ字日記』の啄木はしかし、硬派な思索だけをするのではない。『日本文学盛衰史』(高橋源一郎)は、啄木に渋谷あたりで風俗三昧の日々を送らせていたが、その原点はこのあたりにあると今さらながら知る。『盛衰史』の啄木は、やはりパロディというようなものではなかったのだ。借金しながら三畳間に住み、でも朝飯を運ぶ女中がいたりするのも、面白い。昼頃から夕方くらいまでしか会社(朝日新聞の校正係)にいないことが多かったり、フリーター的とはいえ欠勤ばかりだったりするのも、なかなか新鮮。現代日本のワーキングプアなら、少なくとも女中は雇わない。
本が読んだあと本棚に戻るように、冷蔵庫のビールも何度でも繰り返し飲めるといいね。
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啄木 ローマ字日記 ASIN:4003105443
to U ASIN:B000FUU140
日本文学盛衰史 ASIN:4062747812
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「一握の砂」を青空文庫で見ていたら、こんなのもあった。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/816_15786.html
どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな
何かひとつ不思議を示し
人みなのおどろくひまに
消えむと思ふ