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【2019 輪廻転生】

ライブ・エイド1985「ボヘミアン・ラプソディー」

「ボヘミアン・ラプソディー」 曲はリリース時にラジオで聴いているのだが、ライブエイドの頃のクイーンは記憶がない。記録映像をユーチューブでみても「フレディーはインド人だなあ」とインド帰りなのでそんなことを思うばかりで、やはり何も思い出さない。85年7月。そのころ何していたんだろう?

そんな昔のことわかるわけない、のかというと、1985年当時の日記などというものが残っており、それを読み返すなどということができた。やはりライブエイドの記述はない。しかしそんなことより、ただただ、つまらない、かつ、くだらない、個人の日々と心情がつづられていて、あきれるほかない。

バカなのでムダに苦しみ迷い悩んでいた。周囲をも苦しませ迷わせ悩ませていただろう。ひとりよがりの作為と不作為の繰り返し。たしかに光もいくらかあった。しかし実際にはひどい闇がひそんでいる。「あのころ何していたんだっけ?」どころじゃない。忘れているだけだ。

その頃の自分を今からバージョンアップしたり出来事をレストアしたりはもうできない。30年以上も前だからというより、単に過去には救いの手を伸ばすことは原理的に不可能だ。

さて改めて思うこと2つ。1つは、私たちはそれでも将来を思い描き過去を思い返すものだということ。明日のことを心配し、昨日のことを後悔する、と言い換えてもよい。本当はただ現在に目を向けて生きたほうがいいのかもしれないのだが(マインドフルネス的にも)。

しかし、過去を思い返さないということは、過去を体よく忘れてしまうということでもある。そのことは知っておくべきだろう。現在だけを生きるというのは動物に近いとも言えるだろう。

ただそれでも、やっぱり過去に戻ること自体は絶対にできないという明瞭な事実は重い。そのうえで思うもう1つのことは―― 思い返す過去の期間と、思い描く未来の期間は、一方は長くなるばかりであり、一方は短くなるばかりであるということ(両方を足した年月が寿命)。

だから、思い返す出来事や期間が増えれば増えるほど、それは思い描ける出来事や期間がどんどん減っていることを示している。そして、もはや思い返すことしかできなくなったときが、死ぬということなのかもしれない。

私の場合、30年、いやいやもっと多くの年月が、すでに思い返すほうのフォルダに入ってしまった(日記に書かれてしまった)。一方、思い描くほうの年月は……。つまり私はもうだいぶ死んでいるのであり、ジタバタ死ぬ覚悟などしなくても、自動的に徐々に死んでいけると言ってもいいのだろう。

ともあれ― 

Is this the real life? Is this just fantasy?https://www.youtube.com/watch?v=A22oy8dFjqc…