東京永久観光

【2019 輪廻転生】

神の手抜き?


先日、歯茎ケアのため歯医者に行った。「う〜ん」。口の中を覗いた先生の顔が曇った。前回ここに来てから2年以上も経過していたらしい。あのときは積年の歯石を麻酔注射までして徹底除去した。あの痛い思いをまた繰り返さねばならぬのか。ああもっと早く来ればよかった。…と嘆いたが、実はさほど深刻でなく表面のクリーニングだけで済んだ。「ブラッシングがよくできているんでしょう」と褒めてもらった。

人間が歯を失うのは虫歯よりむしろ歯周病によってだ、という事実はけっこう知られている。しかし、その専門医は少ないし専門医の存在自体もあまり知られていない。私の場合近所にこの先生がいて非常にラッキーだった。

それにしても、我々の身体には「歯と歯茎の間」などという妙な場所があり、そこにカスというか菌というか妙なものがじわじわ溜まっていく。そして我々は、そういう妙な場所に、専用に開発された妙な鉤針状の器具を無理やり射し込み、エアーや超音波もしくはゴリゴリという力を使って、その妙なものを掻き出していく。時には歯茎をメスで切り開きもするらしい。あるいは毎晩面倒なブラッシング作業を課せられる。

悪いのは歯ではない、歯茎でもない、歯垢でもない。ひとえに「歯と歯茎の間」などという妙な場所の存在だ! 空けた口と顎に力を込めつつ私は考えた。食べ物をもっとエレガントに摂取できる身体や口の中だったらよかったのに。そうでなくとも、歯なんて1回と言わず5回くらい生え変わってくれたっていいのに。歯周病は現代特有の病だから仕方ないのかというと、そうでもない。ずいぶん前だが、平安貴族だったかある歴史上の人物の頭蓋骨が発掘されたとき、彼は栄華の陰で歯槽膿漏に苦しんだはず、といった談話が発表されていた。

ID(インテリジェント・デザイン)論という考え方がある。「人間がこうなったのは進化という偶然の結果だ」という理論を受け容れない立場。アメリカなどではさほど少数派でもないという。しばらく前にこの記事がネット上で話題だった。→http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050926etc.html

でまあ何が言いたいかというと、私がデザイナー(神様?)だったら人間の身体に「歯と歯茎の間」などという妙な場所は決して作るまい、ということだ。

「これほど精巧な人間が計画も目的もなしに偶然出来上がるわけがないじゃないか」。それがID論の根拠だろう。たしかになんとなくそう思うことはある。しかし、それとまったく逆に、人間の身体なんて実はけっこう杜撰に出来ているという実感を知ることも大事だろう。

たとえば、養分と酸素の入口がほとんど同じなので食べ物がノドに詰まって窒息する恐れがある。なんでこうなったかというと、古い生物に空いていた穴をいきあたりばったりに転用したり、そこに別のものを勝手に追加したりということを繰り返してきたからだ、と考えられる。要するに、グランドデザインがあって作ったらこうはならないだろうという妙な構造が人間の身体には案外多いのだ(「歯と歯茎の間」がその例と言えるかどうかは分からないが)。新宿駅京王線から埼京線までがやけに遠いのとまったく同じこと。駅も人間も、その時々の都合で既にあるものに建て増ししていった結果(進化)なのだ。もっと単純なことをいうなら、目が前だけでなく後ろにもあったらもっと便利ではないか。二足歩行は素晴らしいかもしれないが、自動車みたいな車輪で移動する生物でもよかったではないか。(ジョージ・C. ウィリアムズ『生物はなぜ進化するのか』ASIN:479420809X を参考にした)

さてさて、人間は身体がヘンテコなだけではない。精神もなかなかヘンテコだ。ここぞというとき弱気だったり怠惰だったり。まったく困る。もっとしっかりロボットみたいに確固たる発想と設計で製造しておいてくれたらよかったのに…。

というわけで歯槽膿漏には注意しましょう(思想膿漏も)。