東京永久観光

【2019 輪廻転生】

それに比べりゃ1000字たらずの冗長など


絶対いつも貸出中だった宮部みゆきの『模倣犯』(上)が珍しく図書館で手に入った。予想以上に分厚いうえに2段組の文章がびっしり。しかしこれまでの経験からすれば、長ければ長いだけ楽しみも長いのが宮部みゆきだからと、かまわず読み始める。だがそれにしても、人物にしろ場所にしろ動作にしろあまりに詳しく書きすぎている気がしてきた。これもしや、描写が無駄に長いというそれだけの理由で上下2巻になったのでは? などと叙述トリックを超えるようなトリックを疑いだし、いったん中断。まあミステリーなんて、事件の骨子だけをA4一枚で報告されても困ってしまうのであって、この種の冗長さを無駄と呼ぶべきどうかは微妙だ。読者の人生がどの程度まで冗長かということにも関わってくる。まして宮部みゆきの語りが無駄に長いなどと、最後まで読まないうちから言うのはよそう。判断も中断。

代わりの本を探す。思わず『本格小説』(水村美苗)を開いてしまった。これも早く読みたいと思いつつ先延ばしになっていた小説だが、ご存知のとおり同じく上下巻なのだ。「よせばいいのに」というところだが、こんども「飽きるまで試しに」くらいの気分だった。ところがこっちはまったくやめられなくなってしまった。すぐに2巻目に突入。全体の構造が少し捻ってあるものの、語りの調子はあまり変わらず滔々と流れている。むろんミステリーやファンタジーの部類ではない。それがなぜこうも面白いのか。それもまた読み終えてから考えよう。

ともあれ、かくも長々しい話を一行の漏れなく読んでもらえるのだから、小説家とはうらやましくも特権的な存在だ。インターネットでは数限りない人々が自らの文章を読んでもらうつもりで提供している。そうした無数の語りを無数にクリックするのに疲れはてているくせに、千ページも超えようというたった一つの語りにこれほど溺れてしまえる私は、いくらなんでもおかしいのではないか。いったいどういう因襲だろう。どういう錯覚だろう。

その一方、2ch発で人気をさらったという「電車男とエルメスの物語」をネットで堪能。だれか一人があらかじめ拵えたのでは絶対に成立しない感動だと思われ、小説とは名実ともに異なった語りがこのように出現している、という確信もいよいよ強くした。ふと『本格小説』という書物が、墨と筆で綴られたいにしえの巻物であるかのような気がしてきた。

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模倣犯1 (新潮文庫)
本格小説(上) (新潮文庫)
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