東京永久観光

【2019 輪廻転生】

なぞなぞ馬鹿

囚人のジレンマリチャード・パワーズ
囚人のジレンマ


長編小説はなぜこれくらいの長さなのだろう。長編人生がこれくらいの長さだからではないか。たぶんそう。人生はふつう1年や2年ではない。といっても永遠ではない(何度も言うけれど)。誰でもせいぜい数十年。数百年、数千年とは続かない。それに応じ、人が読む小説も長さは自ずと限定されてくる。もし30年も40年も完結しなければ、さすがにそれはもう小説とは違ったものになってしまいそうだし、かといって、あっという間に読めたのでは、やはりなにかが足りないのだ。(旅もじつは、日の単位より月の単位で行ったほうが人生という尺度にはぴったりくる。数年、数十年の旅? さすがにそうなると、旅というよりまったく別の境地に至る何ごとかになってしまうだろう)

囚人のジレンマ』には「なぞなぞ」が出てくる。複雑で難解な「なぞなぞ」が無数に……と評したくなるが、実はそうではない。この小説では、たしかに複雑で難解ながらきわめて普遍かつ平凡な3つか4つの「なぞなぞ」を真剣に考えることになるだろう。

なぜ3つか4つかなのか。人生もまたそれなりに複雑で難解で、「なぞなぞ」として問いを立て答えを出していくことになるが、その際、やっぱり有限の寿命に応じて飽きや老いといったものがあるから、まったく解けない「なぞなぞ」とか1000年かけてやっと解ける「なぞなぞ」では意味をなさない。かといって、人生はそうお手軽に解ける「なぞなぞ」ばかりで出来てもいない。それなりに長い人生には、それなりに長い人生を費やして、つまり1日や1年では解けないが10年や20年のうちにはどうにか解けていく「なぞなぞ」が、まあ3つか4つくらいあるのではないか。(3万や4万もあったら負担が大きすぎる)

有限だが十分に複雑な小説を書き、あるいは、読み、そこに浮かぶ「なぞなぞ」の正体をつきとめようとすることは、その人生という営みにやっぱり似ている。

さてでは、この小説における3つか4つくらいの複雑な「なぞなぞ」は、最終的にはどうなるか。『囚人のジレンマ』を読み終えた者は、「ここに正答が示されているのだ」と感じられる文章を、やはり3つか4つは見出すにちがいない。

たとえば。なぞなぞ「小説とは何か?」 答え「戻ってくるすべを知るためにじっくり隠れていられる場所の見取り図」 これを明白と感じるか曖昧と感じるかは、この小説を読んできた密度、投げかけられた「なぞなぞ」を問うてきた密度によって様々かもしれない。

とっておきの真理をそっと隠したとっておきの大嘘を、世界の人々がこぞって大まじめに書き表そうとしたこの日に、じつに相応しくこの小説を読み終えた偶然に、私は感動を抑えきれない。

――というわけで、『囚人のジレンマ』とは、言ってみればこんな話(だが、本当はそうじゃないよ!)


 続く(永久にではないが、10年くらいは)


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こちらにそれなりに長くとても共感できるレビューあり(要点は3つか4つ)。

http://outofthekitchen.blog47.fc2.com/blog-entry-391.html(キッチンに入るな)

“一言でまとめる”と“手間をかける”のちがいは、見かけ以上に大きい。前者がただ嘘臭く、後者が(うまくいけば)力を持ちうるのは、たぶん、手間をかけて準備をする過程に、正論そのもの以上の正しさが感じられるからだと思う。つまり、準備作業が進められるなかで、正論の姿が変質していく

これも「小説とは何か」という「なぞなぞ」の答えだろう。


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◎過去の感想
 → http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20080111/p1
 → http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20080919/p1
 → http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090328#p1