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【2019 輪廻転生】

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』 


カズオ・イシグロわたしを離さないで』(土屋政雄訳) 

《細部まで抑制が利いていて、入念に構成されていて、かつ我々を仰天させてくれる、きわめて希有な小説である》。柴田元幸が解説でこう絶賛している。

「細部まで抑制が利いて」「入念に構成されて」という読み心地は、まさにその通りで、じっくり堪能した。この作家がすでに高く評価されている理由も、そこにあるようだ。(代表作『日の名残り』は未読)

しかし、今回の新作長編がこれほど話題になったことには、むしろ「我々を仰天させてくれる」という要素が一番欠かせなかったのではないか。

以下、ネタバレ注意!!!!!!!!

仰天とは、臓器提供のために集団で育てられたクローン人間たちが、その宿命的な半生と苦悩を自ら語っていく、という設定に他ならない。

それで、この小説の希有の魅力というなら、そうしたまるきりSF的な話を、SF的とはまるきりかけ離れた語り口によって、深く掘り下げていくところにあると言える。

ただし、その臓器提供やクローン人間というSF的テーマが、ことSF的に深く掘り下げられたかというと、それは疑問だ。

これと前後して、グレッグ・イーガンの短編集『しあわせの理由』を読んでいたので、それが際だった。

『しあわせの理由』は、そうした生命倫理の問いをSFとして具体的に研ぎ澄ました小説だと思うのだ。ただし、そこで仮構されている医療などの技術は多岐にわたるうえ、それを真正面から問わざるを得ない形で展開していく思考と解答は、濃縮され整理されすぎている感もあった。(哲学的議論の本に時々ある冒頭の挿話ほどではないにしろ)

そういうわけで、臓器移植やクローンの物語を、『わたしを離さないで』と『しあわせの理由』の中間くらいのSF度と冗長度で、情緒とテクノロジーも均等に膨らませた小説があったら、改めて読んでみたい。などということを調子よく思うのであった。

それはそれとして、次に読むべきカズオ・イシグロ日の名残り』は、SF的でなくても無条件に期待できる。楽しみにしたい。(SFでないから楽しみというのではない)

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なお、カズオ・イシグロは、このテーマはそもそもSF的な動機で選んだのではないと、インタビューで語っている。

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060612bk11.htm(読売新聞)

そうではなくて、「自分と異なる人たちの話だと思って読むうち、これは自分自身に当てはまる話なんだと気づいてほしかったから」というのだ。

どう当てはまるのか考えてみよう。一つはきっと、私も彼らと同じく、いつか必ず死ぬ、言ってみれば死ぬために生まれてきた存在だ、という点だろう。それにもう一つ、そうした短い生涯において、少年期や青年期はかけがえなく輝いている、という点だろうか。

「人の一生は私たちが思っているよりずっと短く、限られた短い時間の中で愛や友情について学ばなければならない。いつ終わるかも知れない時間の中でいかに経験するか。このテーマは、私の小説の根幹に一貫して流れています」

でもそれだったら、わざわざクローン人間が主人公でなくてもいいとは思えるのだが、かといって、クローン人間が主人公であってはダメということにはまったくならない。つまり、『わたしを離さないで』はかなり特殊な設定の青春小説といえるけれど、たとえば19世紀のドイツやフランスあるいは日本の青春小説だって、現在の我々が読めば相当に特殊な設定なのだから、べつにいいのだ。

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カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』 ASIN:4152087196
グレッグ・イーガン『しあわせの理由』 ASIN:415011451X