東京永久観光

【2019 輪廻転生】

★電車道/磯崎憲一郎

 電車道


ふしぎに面白く、ふしぎに一気読みしてしまった。

突然の気づきと驚きのなかで、人の認識は、人の人生は、あっと相転移する。この小説ではそれが時をおいて繰り返される。それを悟りと呼びたくなるのは、この作家の過去の作品とまったく同じ。

そのときの情景は絵画や動画のようで鮮やかな印象を残す。そのように土地が描かれ、自然が描かれ、人間が描かれ、技術が描かれ、社会が描かれる。そのような国の変遷と人の変遷を見つめているうちに、日本の近代100年余りがふしぎなスピードで過ぎている。

後半、主要人物のつぶやきを1つ。

《全ての過ちは必然的に犯されるものなのだとしても、やはりその人に相応しい生き方というのは、どこかで待ち伏せている》

その具体例を図太く実証していくのが、この小説だ。


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さて、きょうから旅行に出る。この本こそ異郷に身をおいて読みたかったと思う。

ある人の結婚式に出席する。『電車道』では当然ながら結婚もまた相転移というべくして訪れる。地球上では無数の人が無数の人生を毎日たんたんと送っているわけだが、そのうちのある2人はあさって特別な極点を通過する。その場に居合わせる。


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(2015/10/07 追記)

昨日ネットで話題だったウィキペディアの「日本住血吸虫症」を見て、ふと『電車道』を思い出した。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%97%85_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BD%8F%E8%A1%80%E5%90%B8%E8%99%AB%E7%97%87)
近代の長い道のりが土着的・庶民的に一望されることと、その語られるムードが似ているのだろうか。


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(感想補足)


換喩的なところがある。何かを描くのに、全部は描かない、かといって抽象的にも描かない。一部の情景・心情・物語だけを描いて、全体に替える。


この小説がどこか神話的なのは、自然現象が人為現象を暗示していることが、しばしばあるからだろう。

《理由はわからなかったが、あるときとつぜん男の視力が落ちた。新聞を読むのにも苦労するようになってしまったので、無駄な金は使いたくなかったが仕方なしに眼鏡を作りに山を下ることにした。すると山道の途中の川にかかっていた橋が落ちていた》

これが男のその後の方向を大きく決めている。


《もともと人付き合いなど良い方ではないが、しかし改めて考えてみれば、他にと仲良くせねばならぬという、少なくともそう見せかけねばならぬという義務から、老いることによって開放されたのだとすれば、これこそが長い間待ち望んでいた慰労、大いなる達成であるはずだった》

本音かな?


鉄道と車道の違いについての思想。

《しかし考えてもみて欲しい、もしも国内のどこに行くにしても未舗装の、黒土と砂利と水たまりだらけの道路のままだったならば、日本はどんなに素晴らしい国だったことか! 他人を咎めたりなどけっしてしない、大らかな気持ちを持ち続けていられたことか! 人々はもっぱら徒歩で移動する、歩いて行って帰って来られないような場所には行く気もないし、行く必要もない、遠くへ行くには鉄道を使えば良い。そう!》


時代は下がって、高度成長期の満員電車。

《戦争中の疎開列車の混雑だってこれほど酷くはなかった》


昭和に入ってから、中学校の皇帝に9の字に机を並べた事件が、登場する。


いろんなものが登場するのだけれど、いずれも、なんだか映像が鮮やかなのだ。エレキギターにしろ、満員電車にしろ、映画撮影の現場にしろ。台詞や物語ももちろん、ことごとく鮮やかに進行するけれども。

本当に良い小説だ。