東京永久観光

【2019 輪廻転生】

マネーゲーム、マネー戦争


去年の暮れ、テレビ塔から紙幣をばらまくというニュースがあったが、その後のリポート。⇒参照:毎日新聞。つくづくいろいろ考えさせられた。

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貨幣の原理を考えると、「お金を使わず貯める」のも「お金を貯めずに使う」のもどちらも貨幣制度の延命には役立つ。しかし「お金をばらまく」ことだけは本質的に違う。この人は真の貨幣革命を実践したのだ。ところがそんなアナーキストが、あっさり自己批判とは、ちょっとつまらない。その判断基準も「やっぱ引きこもりはダメだよ」「警察も出てきたしね」なんて、完全にがっかり。だいたい「厳重注意」なんて余計なお世話だろう。……いやホントは余計ではない。彼は「お金=資本制=日本」という共同幻想の根幹を壊そうとしたのだから。金を捨てるのは、金を盗むよりタチが悪い。

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記事の見出しに「ネット株取引のむなしさ」とある。まあついそう思うが、「待てよ、資本制の経済がそもそもむなしいのでは?」という疑問を忘れすぎてはいないか。おまけに「株取引」は物やサービスの取引ではないから「おかしい」とか、とにかく「ネット」だから「よくない」とか言いたげだ。

今風のリフレ派経済学によれば、景気回復にはなにがなんでもお金が出回ることが肝心という。だから、「市場から利益をもぎ取るだけで、世間に何のプラスも生み出していない」という弁に対しては、「いやいや十分プラスですよ」との反論がありうる。デイトレードだって、ちゃんと株式市場を刺激するのだから、何もしなければ下がる一方の株価すなわち経済を正当に支えている。景気とは、ただもうお金がすいすいそしてどかどか動くかどうかにかかっていて、関わる人の価値や物の価値とはどうやら無縁らしいのだ。だいいち政府も企業も家庭も、常にそうした数値(経済成長、財布の成長)だけを指標にしているではないか。

もしデイトレーダーを悪とみなす立場であれば、大銀行などまさに巨悪と言うべきだ(いやホントにそうかもしれないが)。彼が「ためた金でいずれ事業を」というのだって、デイトレードと違って全く悪ではない、とも言い切れない。

まあ私が言うまでもなく、本当は彼は、こうしたからくりをいやというほど実感し、お金という「意味のある無意味」に日々さらされていたからこそ、それをばらまくほどの虚無と錯誤に至ったに違いない(記事にはそうは書いてないが)。いわば自爆テロ

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ところで。「アイロニーが余裕を失ってシニカルな短絡さに転じたあげくロマン主義を駆動させている」といった趣旨の、すかっと面白い洞察が「嗤う日本のナショナリズム」(北田暁大)で提示されたのは、ご承知のとおり。で、その反応や応用でも、ロマン主義は当たり前のごとく非難され牽制されている。そこで私はちょっとこんなふうに問うてみた。「でも、たとえば今イラクで鉄砲を持って敵と直接向かいあい撃ちあうハメになった人なら、ロマン主義のひとつも駆動しなくちゃやってられないのでは」と。⇒参照

しかしさらに考えるに、現代のハイテクな空爆はいたってクールだと指摘されてきたわけで、もしかしたらそれに加えて、目前の相手と撃ち合うことすらゲーム感覚でやれる兵士というのが米軍などに出現していないともかぎらない。事実はわからない。しかし、仮にそのようにゲーム化された戦闘であるのなら、ロマン主義は駆動しないし不要だとも言える。

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それを踏まえてさらに。一般に、戦争の次ぐらいに深刻で切実なものというなら、やはりお金だろう。そして、企業のビジネスや家計のやりくりには、アイロニーもあろうが、社会とか人生とか幸福といった用語で語られる「経済ロマン主義」が駆動している。ところが面白いことに、かのデイトレーダーの告白にあるごとく、マネー戦争の最前線だけは、戦闘がまさにゲーム化、日常化している。グローバル化した世界に経済ロマン主義は蔓延しているけれど、その最前線に行ってみたらロマンのかけらもなかった、ということになる。

もっとも、お金のやりくりについては、最前線まで行かなくてもほとんどゲーム化している人はけっこういる。で、そういう人が立脚する「マネーゲーム」の物語は文字通りロマンだが、そのマネーゲームの実践自体には、やはりロマン主義は絡んでこないように思える。

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ともあれ、このように不可思議なマネー戦争ゲームのただ中で、彼は、アイロニーにはとどまれず、経済ロマン主義とは別種の、そしてもしかしたらもっと本質的かもしれないロマン主義を放出させてしまった。というか、日本円を放出した。やっぱりどこか自爆テロに似ている。

しかし、金融という巨大ゲームやアメリカという巨大ゲームを支えながら、およそすべての人々に薄く広く行きわたる経済というロマン主義、政治というロマン主義、戦争というロマン主義、そういうものと比較してみるならば、この自爆テロというロマン主義は、まだましなのではないか。

私は、幸いなことに、爆弾の自爆テロをしようと思ったことはないし、今後そっちの側に行かされることもまずないだろう。でも、お金の自爆テロなら、ちょっと憧れる。

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いや、言葉がすべった。たしかに爆弾の自爆テロは、平和な(戦争に対してのんきな)私からみて想像を絶している。破綻している。それと同じく、金ばらまきテロも、平和な(マネー戦争に対してまだいささかのんきな)私からみれば、やっぱり正気とも言えまい。どちらもはるか遠くの事件だ。「まさか私がそんなこと」というやつだ(いや「まさか私がそんなこと」が起こった事例もつい最近あったけれど)。

それよりも本当は、もっと曖昧なロマン主義が、もっと曖昧な日常の前線で潜行してはいないかと、疑いの目を向けたほうがいい。命や金を賭けた直接戦闘とは違うけれど、そこでも誰かが曖昧に戦争をやっている。きっと誰かが曖昧に自爆テロをやっている。