キリスト教を乗り超えるかたちで西洋近代の思想と生活が出現したが、今や、その西洋近代の行き詰まりを一掃するためにこそイスラムの思想と生活が必要だ、といった必然性が語られている。
言い換えれば、キリスト教は中途半端な信仰だったから人間中心主義や偶像崇拝をつい招いてしまった。イスラムはそれに変わって信仰の絶対性・抽象性を確実に行き渡らせる、と。
「服従」とはそうした絶対神への服従ということになろう。(女性の男性への服従がそこに重なるという解釈がまた凄い)
フランスの大統領選でイスラム政党の代表者が勝利することから展開するこの小説は、村上龍を読むような近未来シミュレーションの面白さをたたえ、また、やっぱりウエルベックらしく過剰にして虚無的なリア充(男女交際)も目立つが、しかし、上にまとめた辛気臭いくだりが終盤にかけて浮上し、私はそこに一番引きこまれている。
なにしろ、キリスト教とは縁遠くヒューマニズムはもっとクソ食らえと思っていた主人公が、あれよあれよと改宗しそうな勢いではないか!
ちょっと前に私は、もし安保法制が黒(誤り)ではなく白(正しい)であったなら、まるでオセロのごとく、今まで白だと信じていた多くの人物や思想はことごとく黒に入れ替わる、 といったことを考えた。
それと同じく「イスラム主義が黒ではなく白だとしたら?」という問いを、生まれて初めて持った。
残り20ページほど。さてどうなる?
*
『服従』読み終えた。
主人公はイスラムが支配する大学や男女関係を受け入れる。「自分の知的生命が終わった」と諦めつつ「ぼくは何も後悔しないだろう」とつぶやく。
リチャード・ローティがその立場だとされる「アイロニカルな受容」といったところだろうか。この場合、アイロニーは「入れ替え可能」「自身の価値観を疑い続ける」といった意味合いが強い。
ただ実際の主人公はどこかサバサバもしている。つまり、イスラムに対し「アイロニーを失って絶望的に、また、アイロニーを捨てて積極的に」服従するかのようにもみえる。
……そうか、イスラム主義などロクなもんじゃないし、それをすんなり受け入れそうなフランスや主人公もロクなもんじゃないという話か。ただそれが絵空事ではないのが現代だと。