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【2019 輪廻転生】

進化論のロジック――更科功『進化論はいかに進化したか』

更科功『進化論はいかに進化したか』(新潮選書)

 

今西進化論を評した章が個性的で面白かった。

今西進化論は正統的進化論と異なり「個体ではなく種自体が進化する」という発想のようだ。そしてまた、種はどうも何らか必然的な理由で進化する、と考えたようだ。私としては、後者がむしろ前者に負けず面白いと思った。

《今西の考えはこうだ。たとえば、ある時期がきたら、数世代のあいだに首の長さが普通のキリンすべてに、首が長くなる変異が起きる》《なぜ、すべての個体に突然同じ変異が起きるのか(…)それらについては説明がないので分からないが、とにかく今西の考えた進化の仕組みは、こういうものらしい》

ただしこれを「種は必然的な理由で進化する」と受けとめたのは、私の深読みかもしれない。「宇宙は必然的な理由でこうなった(のならいいな)」「人間は必然的な理由でこうなった(のならいいな)」という願望をつい読み込みたくなるのだ。もちろんその願望は裏切られる。神は不在なのだから。

なお、同書の解説によれば『種の起源』は元来神学書だったそうで、それまた実に面白い。とはいえ、上に書いた「神の不在」はダーウィンこそが決定づけた。私にとって、そして思想史としても、もちろんこのことが重要だろう。

では、進化論はなぜ「神の不在」を決定づけるほど強力なのか? それは、進化論とはただの事実の発見にすぎないからだろう。進化とは、ややこしいからくり仕掛けではなく、それどころか法則というべきですらない。ーーそんなふうに私は最近思っている。

「進化論はトートロジー(同語反復)だ」という主張がある。私もとりあえず賛成で、「進化論とはただの事実の発見にすぎない」も大雑把には同じことだと思っている(もっとちゃんと考えてみたいとも思っているが)

そんなことを考えていたら、『進化論はいかに進化したか』の著者が、「適者生存」はトートロジーか、をめぐって考察しており、これもとても面白かった(以下)

(5月4日) 

『進化論はいかに進化したか』(更科功)続けて読む。

今西進化論の奇妙さに潜んでいる思考のミス(それこそミスコピー?)を知った感じだが、遺伝的浮動とそれがもたらす中立的進化はそれに増して面白い。そのロジックと実例がよくわかった。そうなると、世界と人間の風景はがらりと違って見える。