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【2019 輪廻転生】

学問の王様

生物が多様な種に分化してきたのは必然だったと考えることができるように、学問が細分化するのも仕方のないことなのではないか。

しかし、学問はただ細分化しているだけではなく、学問という「生態系」のすべてを覆い尽くすほどの真理を目指そうという動機が、学問のある種において時々は現れるように思う

たとえば、ルース・ギャレット・ミリカンという研究者の思索を中心に紹介していく戸田山和久『哲学入門』には、そうした動機がありありと感じられる。

それは哲学というドメインには限らない。経済学の一種にも、物理学の一種にも、そうした動機を感じさせるものがある。

話をもとに戻すが、生物は多様化したからこそ、そのなかから圧倒的にエクセレントで強欲な現生人類みたいな種も出て来れたのだとも言える。学問も細分化しなければスゴいものは出てこないのだ、と考えることもできるだろう。

この比喩でいくと、古代のギリシアや中国で学問が大いに開花した時期は、カンブリア紀の爆発みたいなものではないか。あるいは、西ヨーロッパから始まった近代思想が地球上を覆い尽くしてきたのは、いかにも恐竜のごとくだ。

しかし、恐竜の陰でちまちまと生息していた哺乳類の果ての果てのたった1種が、やがて決定的な進化を遂げる。学問もそういうことがあるだろうか。というか、そういうことは今まであったのか、なかったのか、という問い。

ところで、人間を最高とみなすときに、同じく考えておくべきは、現在生き残っているすべての種は、環境への適応という点では、人間と同じく生物として独自の「解」を体現しているのだという点。


何が言いたいか。世界を一挙に説明するような動機や成果は、つい哲学や物理学に期待してしまうが、もしや、たとえば粘菌や蝉が人間とは別個の極めて普遍的な「解」を体現しているかもしれないように、細分化した学問のまったく奇妙な一種が、まったく奇妙な「解」を見つけている可能性もある。


どうも漠然とした話になったが、具体的に言うと、たとえば「進化」という思考法は、人間も社会も宇宙もまとめて一挙に説明しようなどというときには明らかに有望だと、今の私には思えるのだ。少なくとも学問領域間の競争においては「進化」と名のつく種は頭ひとつリードしているのではないか


哲学入門/戸田山和久 
 哲学入門 (ちくま新書)