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【2019 輪廻転生】

★君たちはどう生きるか(宮崎駿)――多神教的

昨夜は、宮崎駿君たちはどう生きるか』を見てきた。この世界が在ることの根拠と動機。この世界は、このような根拠によって生成したのかもしれない。このような動機によって進行するのかもしれない。そうであるなら、生きていける・死んでもいい。そのイマジネーション。まるで多神教の神話だった。

人間最後の手仕事による芸術、そのマスターピースという感じも。AIの不在。

 

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感想追加(8月29日)

君たちはどう生きるか』は、そうか、そうくるかと素直にうなずきながら見ていた。世界は理不尽で不可解だが、どうしてそうなのだろうーー宮崎駿(ないし主人公の少年)は、私と同じで、とにかくそう思っている。そしてこの映画はその理由や根拠を探り見つけていくのだなと。

理不尽や不可解とは、戦争で母親が焼死してしまい新しい母が現れたこと。帰省した屋敷や周辺で起こり始めた出来事もそうだろう。ただその理由や根拠は宮崎駿にとっては「多神教的」なんだなと、また大きくうなずいた。その神話のような異世界の冒険譚。

そして気がついた。私は「無神論者」を自称しているが、それは一神教に対する無神論なんだなと。というか、多神教となれば無神論はやる気が出ない。その具体的で絶対的で超越的な根拠は実在するのか? などといきりたつ必要がない。だから、多彩な展開と説明に なるほど〜とただうなずいていた。

さてーー 無神論は世界が成立する根拠として神が実在するとは考えない。しかし私の無神論は、実は「世界が成立するには絶対的で超越的な理由や根拠はもちろん必要だ」と考え、その勢いのあまり「ただしそれは神ではない」を強調してしまう類の無神論なのかもしれない。そんなことにも気がついた。

じゃあ「神ではない絶対的で超越的な理由や根拠」って何だ? そう聞かれたら、少なくとも1つは物理学や数学を思い浮かべる人は少なくないだろう。私も素直にそうなる。最近ブライアン・グリーンやカルロ・ロヴェッリの本やフレーゲの本を読んだのも、いくらかその流れだった。

一方で、今年はトマス・アクィナス神学大全』も開いてみた。『神とは何か』というストレートな本(講談社現代新書・稲垣 良典)も少し読んだ。おもしろいことに、そして多くの人も私もうすうす気がついているとおり、普遍の法則を求める純粋な動機において、神学と科学は双子のごとく似ている。

そんなわけでーー 世界があることや生きていくことに理由を探さずにはいられない、その動機において宮崎駿は私と同じだと強く思った。ただしその答えは多神教的だった。そのせいか、私にとっては無神論も関係なくなるような奇妙な味わいをもたらした。

 

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