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【2019 輪廻転生】

★カルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』

カルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』を読んだ。

 

時間と空間という確実な座標軸、それを私たちに信じ込ませた「犯人はニュートン」説! そして、この宇宙には「もの」などなく「こと」だけがあるんです!――過去の著書(すごい物理学講義)に増してそれを説得された感あり。

 

最終章は<じゃあ私たちがみんな死んでしまうことをどう捉えたらいいの>という話になる。まあやっぱりそういう話になる。ということは、宇宙の法則について熟考すると自動的にそうなるんだろうか? 私たちの多くは宇宙の法則を熟考しないから、自分の死についても思案しないんだろうか?

ともあれ個人的にはーー 

<私が死んでしまうのはどうしようもないのか>という問いは、<そもそも宇宙はどうあるのか・なぜあるのか>の答えによってこそ解決されるんじゃないか、とぼんやり思ってきた。しかし実を言うと、結局のところ、この2つは別のことだと、最近は思うようになった。

だから、その観点では最終章は つけたし に過ぎない。著者は「死は怖くない」ともつぶやいているが、宇宙の物理的実相を著者と同じく理解すれば、死についても著者と同じく達観できる、とは保証できない。

 

しかしそれは今どうでもよい。<時間や空間はいかに存在するのか・いかに認識されるのか>という興味は、<死んでしまうのは困る>という困惑とは独立して、しかもひょっとしてそれを上回るほど、頑丈にそびえ立っている。

そして何より重要なのは、「なぜ私は死んでしまうのか」が単なる事実に関する問いであるように、「なぜ宇宙はあるのか」も、それが哲学の問いなのか科学の問いなのか神学の問いなのかはさておき、とにかくそれも単なる事実に関する問いなのだということを、私は強く実感しているという1点だ。

 

大げさに書きすぎたか…。さてカルロ・ロヴェッリは「ループ量子重力理論」で知られる。先日読んだ『時間の終わりまで』のブライアン・グリーンは「超弦理論超ひも理論)」。<宇宙はこうなってます>の究極理論の双璧。両者とも、宇宙観を語りつつどうしても死生観を語ることになっていく。