https://twitter.com/kenichiromogi/status/1427546445628854272
再放送。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2021年8月17日
塩谷賢、もぎけん対談。人工知能と純粋記憶#もぎけん対談#塩谷賢哲学散歩#塩谷賢 と #茂木健一郎 の #哲学 散歩。vol.6#人工知能 と #純粋記憶https://t.co/OA19FA4KzX
人工知能に意識は宿るか?――『クオリアと人工意識』を著した茂木さんは野心的で楽観的だけど、塩谷さんは大いに首をかしげる。意識と一口に言っても、知能や感情や他諸々がどう混ざり合いどう浮上してくるのか、その見通しがそもそも立たず、議論の前提が不透明というところか。
人工知能として、アトムのようなものは出現していないけど、人間の道具ないし社会の道具として人工知能はいわば実現している、というふうに塩谷さんは見ているようだ。穏当だけど現実だなと思う。
たしかに、人工知能は道具としてエクセレントになってくれればそれでいい。私もそう思う。人工知能が人間みたいにならなくてもかまわない。たとえば友達なら、猫とか犬は、人間の友達の60〜70%を果たしてくれているようでもある。人工知能が友達になるのは、それより難しいかもしれない。
反論!
メールしかしない友達、年賀状だけ続く友達、それって「AIの友達」っぽい。「猫の友達」にはメールも年賀状も無理。――つまり、言葉をやりとりできることが友達の条件ならば、猫よりAIが友達にふさわしい。しかし直感的にはAIより猫が友達にふさわしい。よって、友達に言葉はさして重要でない?