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【2019 輪廻転生】

複雑さの起源(ワールドカップ 日本代表 決勝T進出)

「ボールを相手のゴールまで運んでいくより自分たちで回していたほうが生き延びる確率は高い」ということを、少なくとも私は昨夜初めて考えた。その状況や展開はかなり複雑だがかなり明瞭なので、通常のヒトであれば、初めて考えるにもかかわらず、その複雑かつ明瞭な理解と行動に到る。

そこで起こっていることに比べたら、たとえば太陽が燃えるとか雨が降るとか、マグマが噴出するとかなんて、どれもあまりにも単純な状況と展開でしかない、ということに気づく。

何が言いたいか。

(1) 宇宙ではどこにおいてもまったく単純なことしか起こっていないが、ただ地球においてだけは非常に複雑なことが起こっている。ではいつからそうなったのだろう?

複雑なことはワールドカップから始まったのか? そうではない。コロンブスアメリカ大陸を見つけてから始まったのか? そうでもない。では人類もしくはホモ・サピエンスの誕生以来か? そうかもしれない。たしかに三葉虫や恐竜には昨日の日本代表のようなエレガントな理解と行動は無理だろう。

しかし、三葉虫や恐竜の思考はさておき、三葉虫や恐竜の体の中では、ものすごく複雑な状況と展開が常に起こっている。その複雑さは同じくヒトの体内でも起こっている。その複雑さはやはり太陽や雨や火山とはまったくレベルが異なる。そしてその始まりを探すとしたら、やっぱり生物や細胞の誕生なのだろう。

(2) そしてもう1つ言いたいこと、というか、考えたいことは―― とても複雑な状況や展開というものを、私たちは、なぜ理解できるのだろう、どうやって理解しているのだろう、ということ。

複雑なことを考えるためには、たとえば言語は不可欠なのだろうか? あるいは数字や図形こそが不可欠なのだろうか。「日本が負けてコロンビアが勝った場合に日本がセネガルより上位になる条件は?」これを私は紙に図や数を描いて初めて理解できた。

しかし、たとえば猫は、腹が減ったのに食べる物が見当たらないといった状況のとき、そこにいるこの男を起こせば生き延びられるという展開を、理解しているように思われる。養老家の猫はそれが新鮮な魚かどうかまで即座に理解するという。しかし猫は言語を用いたり数や図を描いたりはしない。

(3) さて。人工知能は、日本代表に負けないほどのエレガントな思考ができるのか? 猫に負けないほどのエレガントな思考ができるのか?

《生命は知性を進化させたが、生命なき知性というのは発生していません》と池上高志さんは述べている(以下参照)

https://twitter.com/tokyocat/status/1003536627547848710

でもまあ昨夜からいろいろ考えを巡らせているが、人工知能こそは、やっぱりまさに「生命なき知性」になりうるんじゃないかと、根拠はないが言いたくなる。

もしそうであれば、人工知能の誕生は生物の誕生に匹敵する特異なできごとだ。広い宇宙をどこまで眺めても、生物の出現がないかぎり複雑な現象は1つも存在しないように見える。そして宇宙でただひとつ奇妙な生物に満ち満ちた地球に、こんどは、あらゆる生物以外の奇妙なものがただひとつ出現する!

(4) ただまあ、日本代表がボールを回すことにしたのも、腹をすかした猫が飼い主の前でニャアニャア声を出すのも、「ただ計算をしているだけ」とも言える。ただの計算なら大した知能ではないのか? しかしそれなら、人間の知能は、そうした計算を超えた何かすごいことを本当にしているのか?