きょうはこれを視聴中。
「デネットは面白くない!」と先ほど明言。
意識は宇宙にとって不可欠の要素ではないかと直感している茂木さん。「意識がなければ、宇宙がこのようであることの、つじつまが合わない、といったかたちで、意識の謎を解きたい」みたいな(主旨)
宇宙に電子はたった1つしかないとみることができるのと同じように、宇宙に意識はたった1つしかないとみることができる、ということを茂木さんは言った。これはものすごく面白い。初めて聞いた(今度の本のエピローグに書いてあったらしい。そこだけまだ読んでいなかった
ーーこれを受けて私が考えてみたこと(以下)
「電子は1つしかない」という見方は、まるきりナンセンスではないと思う。私たちが使っている三角定規はいずれも完全に同一ではないが、三角形の定義や概念は1つしかない。では電子はどうか? 電子の定義も1つしかない。しかも電子は「定義どおりにしか存在しない」ようにみえる。実際に、電子などの素粒子は、2つあっても、その2つをまったく弁別できないという。しかも、電子のペア(2つ)がふるまう確率は、飴玉のペア(2個)がふるまう確率とは異なり、あたかも1つでふるまう確率になるという。
あまりに奇妙だが、こうした点では「電子は1つしかない」はそう突飛でもない。
ただし、そうなると、私としては、電子は「実体として存在するのではない」「定義や概念としてしか存在しない」と言いたくなる。
意識というものも、他の生物や事象も仲間に入れて、「感覚」「表象」「インデクス」などのように拡張してみれば、この宇宙における意識と呼べそうな現象を、いつか、すべて1つの原理で説明できるのかもしれない。あらゆる進化が「変異と淘汰」といった原理で説明できるように。
ただし、もし意識の原理が進化の原理のように発見された日が来たとしても、この私の「この意識」や、Aさんの「この意識」や、Bさんの「この意識」など、あらゆる意識が「1つである」というふうに、理解したり実感したり、できるようになるだろうか?(わからない)
意識の「原理」について考えてみたが、それとは別に、意識の「要素」について考えることができるだろうか。
たとえば飴玉や赤血球や細胞は必ず電子などの要素から成る。しかし意識は、正体が今まったく不明だとしても、一般の物質ではないように思えるので、意識は電子などの要素にもならないように思える。つまり、意識は、それ特有の原理を持つかもしれないように、それ特有の要素を持つかもしれない。
さて、飴玉や赤血球や細胞の1つ1つは同一ではないが、それらも究極の要素である電子などのレベルになると、1つ1つがまったく同一になる。意識も(その要素が何なのか今まったく不明だが)その要素のレベルになると、なんらかの意味で「まったく同一でした!」という発見に到らないとも限らない。
飴玉や赤血球や細胞といった私たちになじんだサイズの物質と、その究極要素である電子では、同じレベルの話ができない。物質を作っているはずの電子は、そもそも物質ですらなく定義や概念でしかないように思える。電子は「情報でしかない」という言い方は、もっと当たっているだろう。
それと同じように、意識という私たちになじんだレベルの何ごとかも、その究極要素のレベルになれば、いっそう想像できない何ごとかである、そんな可能性は十分あるだろう。そのレベルでは、なるほど「意識は1つしかないのか」と納得できる日が、いつか来るのかもしれない。
◎レクチャーをめぐりツイッターで個人的対話(1)
https://twitter.com/yokoyama33/status/1320298802692026371
◎レクチャーをめぐりツイッターで個人的対話(2)
https://twitter.com/tmichiaki/status/1320850428980908032
◎私がツイートした質問(採用されず):私の生命が消えるとき、私の意識も消えると思いますが、そのとき私の宇宙も消えるという見方もできると思います。「宇宙に意識がたった1つしかない」とおっしゃるのは、それと関係しますか?
◎同じころ、たまたま見つけたツイート(以下)が、レクチャーの問いかけや私の思いと、なぜかぴったりシンクロしており、激しく頷いた。https://twitter.com/hijk0909/status/1320223682208305153
https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2020/09/06/000000