え? 石橋静河が原田美枝子の娘? お父さんは石橋凌? 知らなかった。というか、石橋凌と原田枝子が夫婦だとも知らなかった気がする。私は本当に20世紀を生きてきたのか?
(3月2日)
それにしても、なぜ石橋静河かというと、その日『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』を視聴したから。
まだ新しい作品(2017年)で賞も多数受けているのに、全然知らなかった。つまり私はまして21世紀など生きていない。00年代も10年代も20年代もずるずると閾値を感じない(後期戦後が超長い)
ともあれ、この映画は非常に好かった。石橋静河も好かったが、池松壮亮も好かった。それにしても、池松壮亮の出る映画は私にはなぜかいつも傑作。――早い話、池松壮亮が良い役者だということかも…
それと、冒頭すぐ気づいた。言葉がとても効果的に働いている映画だなと。詩集がもとになっていることは関係するのだろう。リトリモアっぽい世界だなとも思った。
そもそも言葉は映画の構成要素の1つなので、映画で言葉が良く働くことはただ良いことだ。ただし、言葉が目立つ映画では、良く働かない言葉がただ過剰だったり、しかもそのぶん映像で語られることがただ乏しかったり、ということが、ありがち。そうでなければ、映画の言葉は過剰でも全然オッケー!