エンドロールでは、神(映画そのものを見せてきた第三のカメラマン)がとうとう姿を現す。「待てよ、じゃ第三のカメラマンは、だれが撮ってるんだ?」 ――少年よ、そのカメラこそが哲学と呼ばれるんじゃ。
「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」と私たちが首をひねるのは、「このように存在しているものがあること=いわば映画のごとくそもそも見えているものがあること」が不思議だと気づいたから。そして、この仕掛けは何だと問う。しかしその仕掛けは原理的に語りえない。神と呼ぶほかない。
=いったん休憩を入れよう=
◎劇場鑑賞時の感想
https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20180904/p1