(9月26日)
先日の対談で東浩紀が、運動は学校を前提とした生徒会の申し立てや政府を前提とした国民の申し立てにすぎないが、革命はそれと違い学校や政府を前提にしない、という主旨の指摘をしたあと、革命をどう思うかと問いかけると、三浦瑠麗は「1848年をどう思うの」と逆に聞き返したのが印象的だった。
革命として象徴的なのは1848年なのかと改めて知った次第。そして、もっと印象的だったのは、三浦さんが、革命の暴力なんてまっぴらであり、なぜなら私なんて真っ先に殺されるから、という主旨のことを即答していたこと。
さて2020年の日本に貴族と平民の身分はあるか。ブルジョアとプロレタリアの対立はあるか。よくわからないが、インターネットに住まう私たちにおいては、セレブ(著名人)と一般人の区分はある。問題は、貴族のサロンに平民は出入りしないが、セレブのサロン(TLなど)に一般人は出入りできること。
◎1848年
《1848年、自由主義を掲げ、憲法の制定などを求めたヨーロッパの一連の革命はウィーン体制を終わらせた。しかし、新たにブルジョワジーと労働者の対立という対立も明確になった》
https://www.y-history.net/appendix/wh1201-093.html