東京永久観光

【2019 輪廻転生】

イスラム国の日本人殺害警告をめぐって(~1.28)


《従来からの政策に変更を加えていない今回の訪問を理由に、「中東を訪問して各国政権と友好関係を結んだ」「イスラエル訪問をした」というだけをもって「テロの対象になって当然、責任はアベにある」という言論がもし出てくれば、それはテロの暴力の威嚇を背にして自らの政治的立場を通そうとする、極めて悪質なものであることを、理解しなければならない》

http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-258.html
池内恵『中東・イスラーム学の風姿花伝』より)


傾聴しつつ、安倍首相の昨今の考えと行いがまったく影響していないのか、考えたい。


(1.22)
中田考氏は「安部首相の中東への歴訪と外交認識は、実はバランスが悪く偏っている。人道支援のためではなくアメリカとイスラエルの手先だと理解されるのは中東においては常識」という意見。

https://www.youtube.com/watch?x-yt-cl=84411374&x-yt-ts=1421828030&v=N60G4SEhTLs#t=17イスラーム学者・中田考氏の緊急会見より)


(1.23)
安倍政権は2014年11月には2人の誘拐を知り、以後はイスラム国との交渉が可能だった。そう仮定すると、この3か月の間 首相が何を考え何をしたのかは、2人の生死の行方に影響してくる。彼が、アメリカとの関係や中東との関係や人質への対応をどうしたいと思いながら、総選挙したり年越ししたりしていたのか、想像しよう。(……とはいえ、2人の安否確認すらやりようがない状態だったのか?)


(1.24)
池内恵さん(http://hon.bunshun.jp/articles/-/3260?page=2

《学者にしても、メディア関係者にしても、例えば表現の自由という、人間主義を前提とした近代社会の原理に守られながら、この事実を無視して、人間主義の上に神をおくイスラーム教に「反西洋」という自分自身の過剰な思い入れを投影する傾向があります。それが神の啓示を絶対とする信仰に基づいたものであれば一貫しているのですがそうではない。単に欧米コンプレックスや政権への不満の受け皿として「イスラーム」を想定しているだけなのです。そこでは「イスラーム」にありとあらゆるユートピアを想像します。

 しかしイスラーム国はユートピアには程遠い》

安倍政権を支持するかどうかは別にして、上記の認識を都合よく忘れる人(私?)はとにかく支持できない。

これが結論か。

だが、現在の世界にイスラム教があるのとまったく同じく、現在の世界には大きな経済格差がある。戦闘状態の根幹にはその両方があることを、私は忘れることができない。それもまた結論。

なお、安倍政権への私の不満に日本国内の経済格差があることは明らかなのだが、その日本の経済格差と世界の経済格差とを、同じ問題と思うか別の問題と思うかで、イスラム国への私の共感度は変化する。


 *以下、補遺


(1.20)=第一印象=

安倍晋三イスラエルイスラム国、湯川さん。とんでもないものどうしがとんでもない遭遇をしてしまった。映画や小説の空想ではなく。なんという世界か。なんという時代か。


(1.21)
ISISのメンバーがクソコラグランプリに憤慨するとしたら、クソコラグランプリの価値が認識できるからだろう。彼らは私と同じ時代と同じ社会を生きている。初めてそう思った。

ISISクソコラグランプリこそ日本の私だ!


(1.22)
8500キロは遠いかというと、遠くないと言うのが先進的なセンスのようで、実はやっぱり8500キロは遠い。イスラム国は遠い。それより問題なのは、たとえばごく隣の野宿者も実は遠いし、ごく隣の億万長者も実は遠いことではないか。まるでみんな友達だと感じるのは、ネットが与える錯覚だろう。

人を殺すのは自由だし、人でふざけるのも自由だが、どっちもされる方は嫌だ。ただ、される方にとって、ふざけられても取り返しはつきそうだが、殺されたらぜったい取り返しはつかない。ここは大きな違いだ。シャリル・エブド襲撃と日本人殺害警告で、今のところ結局それだけは確信した。


(1.23)
モンゴル軍やチムール軍が現代に蘇ったらイスラム国のような脅威なのだろうか。

モンゴル軍やチムール軍は遠い時代なので私には害が及ばないですんだし、イスラム国は遠い場所なので私には害が及ばないですんでいる。たまたま。それだけ。昔は殺し合いだけが現実だったし、今も殺し合いだけが現実の場所があるということだと思うと、恐ろしい、非情。


(1.23)=後藤さんの実母が記者会見=
ディスコミュニケーション。記者会見。世界は難しい。

記者会見、混乱の極み以外の何ものでもないけれど、それでもなお、相互理解を求めなければ、相互理解を試みなければ、どうにもならないじゃないか。このお母さんに対しても、イスラム国のメンバーに対しても。


(1.24)
石堂順子さんは記者会見で、ただもう自分の気持を正直に吐き出さずにはいられず、そのせいで、周囲の話の流れや質問者の意図やお茶の間の空気をくみとる余裕などほとんど持たなかったのだろう。私のツイートも似た感じだ。

ディスコミュニケーションはこの世の大半の常態だろうし。

なお、記者会見をテレビとニコニコ動画で見ながら、じつは私も、野口英世の母の手紙を思い出していた。

http://www.geocities.jp/ikiiki49/page018.html

この手紙のことは、加藤典洋『言語表現法講義』で知った。懐かしい。
asin:4000260030
◎当時の感想:http://www.mayq.net/junky15.html#000508


(1.26)
アルカイダは中心のないネットワークなのでメンバーはあちこちで勝手に共鳴し勝手に戦闘を行う、だから手に負えない、と言われてきた。領土をもつ「イスラム国」はやや違うのかもしれないが、信仰による正義や欧米への憎悪からテロに踏み切る人たちは、同じく分散して多発しているように思われる。

しかし、私たちのいわば西洋的近代的リベラリズムの考えも、べつに司令塔があるわけではなく、分散して多発する。たとえばツイッター上に。「人を殺しちゃダメだろう」「人の自由を奪っちゃダメだろう」「人の心を傷つけちゃダメだろう」などなど。どんどんどんどん。

つまり、今日のテロリズムは脆弱ではないネットワークによって拡散しているようだが、「テロリズムは許さん」という考え(ときには行い)もまた、脆弱ではないネットワークによって機能している。どこかの王様に強制されているわけでも、どこかの先生に洗脳されているわけでも、ほぼない。

私も他の人もときどき愚かなツイートをしてしまうが、全体としてこの世界はそれほど狂ってはいない。そう信じるからこそ、後藤さんや湯川さんの無事を祈ることがまったくの無駄だとは思わない。明日からテロに備えて生活を変えようとも思わない(イスラム国が物理的に遠いという偶然もあるが)


(1.27)
イスラム国をめぐるツイッター上の意見対立は、イスラム国との戦争に比べ、生死にかかわる度合は小さいものの、折り合いがつきにくい度合は、同じくらい絶望的だと思う。


(1.28)
それ、正義か、ほんとに >イスラム

後藤さんの命とヨルダン人パイロットの命を天秤にかけさせるかのごときイスラム国は、サンデル先生の白熱教室か、はたまた人間の良心にあえて試練を与える神か、と問いたくもなるが、実際はただの悪魔だ。