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【2019 輪廻転生】

★マンチャスター・バイ・ザ・シー

マンチェスター・バイ・ザ・シー (字幕版)
http://www.bitters.co.jp/manchesterbythesea/aboutthemovie.html


先日ディスク鑑賞。高い評価のとおり見応えがあった。つらい体験をどうしても克服できない人生。アメリカ映画ではSFでもミステリーでもなく普通の人々をただ淡々と描いたような傑作に、このようにときどき出会う。

それはそれとして――

アメリカでは、高校くらいになれば、同じ家にいても、子どもは親からまったく自立しているというか、あまりにも好き勝手やってるというか、そんな驚きもわりと大きかった。

親と子が心中するのを特別ヘンにも思わないような日本にいると、徹底して核家族であるアメリカが、つまり、親と子がそれぞれ自己主張して譲らず対立や競争すらありそうなアメリカが、じつはそうとう異質な社会なのだと、感じるということ。とても自由だけどとても孤独なんじゃないか。

エマニュエル・トッドは、世界の家族のパターンを4つに分類し、アメリカは「親子は別居する」かつ「子どもどうしが不平等」であるパターン(絶対核家族パターン)だとしている。子どもどうしが不平等というのは、私の理解では、兄弟姉妹の関係に秩序がなく自由だけど競争が激しい、という感じ。

日本は「親子は同居する」かつ「子どもどうしは不平等」のパターン(直系家族パターン)。「子どもどうしが不平等」は同じかというと、こちらのパターンでは、長男など特定の一人が家をすべて受け継ぐという、いわば秩序ある不平等なので、自由でないけれども競争もないと思われる。

――そんなわけで、アメリカだと、親子や兄弟ですら、互いに徹底して個人であり自由であり競争であり、といった事情が、この映画をめぐっても、じわっと感じられてきたということ。

これは前から思っているが―― 私たちは、映画や音楽やニュースなどで、アメリカの文化や社会には特別異様に多く触れているから、アメリカがなんだか近所のように錯覚する。ところが、アメリカの社会はじつは日本の社会とはものすごく隔たっている。それを忘れているので、ふいに直面すると驚く。

日本社会でも人は孤独だとは思う。しかしアメリカ社会では人はもっと根本的に孤独なんじゃないか。テキサスの高校でまた銃乱射とかあったようだが、なんというか、そうした徹底して孤独な高校生たちが、ストレートに愛しあいもすれば、ストレートに憎みあいもしている。そんなふうに感じられる。

「I can't beat it.」その悲痛と絶望の言葉を、映画の主人公リー・チャンドラーは、最後になってもつぶやくしかない。その「I can't beat it.」の度合いが、日本の場合、日本の家族とか高校とか会社とかの場合、アメリカに比べたら、いくらかは、ぬるく、ゆるい、のではないか。


エマニュエル・トッドの用語については以下が参照できる。http://www.talkpal.co.jp/contents/emanuel.html