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【2019 輪廻転生】

★敗戦後論/加藤典洋


 敗戦後論 (ちくま学芸文庫)


加藤典洋敗戦後論』を読み返している。突出して意義の深い考察がなされている。私が読んできた本のなかでは明らかに群を抜いている。驚くしかない。というか、それほど意義の深い考察ならば、20年たったからといって中身をこれほど忘れていたのはどうなんだと、私自信に驚くしかない。

どれほど意義が深いかというと、大切な知人には等しく強くお勧めしたい気持ちになったほど。私より貧乏だというなら、一冊贈ってあげてもよいほど。

映画でも小説でも評論でも、これは自分の行いが描かれているとか自分の考えが書かれているとか思うことはめったにない。しかし、この本は、まさに私の考えそのものが進んでいくかのような気持ちで、読むことになる。

この本は、ある人の思想自体よりも、その思想を述べるその人の立ち位置について、あるいは立ち位置や述べ方の危うさ あるいは ずるさについて、もっぱら考えていると思われる。

そうした問いかけの新鮮さや深遠さに、刊行当時(1997年)、いわゆる雷にうたれた気分になった記憶がある。

しかし、今回はっきり気づいた。2011年以後に原発の是非について、あるいは2015年以後に安保法制の是非について、右派と左派の間で交わされる議論のなかで、何が本当は正しいことになるのだろうと、私が迷い悩んでいたものもまた、『敗戦後論』の考察は、正確に照らし出している。

中身については、おいおい書こう(つぶやこう)。少しだけいえば、『敗戦後論」の考察は、日本の過去の戦争との向き合い方をめぐってスタートする。しかしその逡巡は、文学作品の解読を通して、あらわになり、鍛え上げられ、おそらく(まだ最後までは再読していない)着地していく。

とりわけ、加藤典洋がひっかかり、かつ、尊んでいるのが、太宰治の小説の立ち位置や言葉だ。そこからみると、坂口安吾の『堕落論』ですら疑いの目が向けられる。文学の政治からの自由を最も望んだとみなされる吉本隆明すらも、最後の一皮のところで文学から政治の側に転んだという見方もなされる。

なお、この話をもう少し言うと―― 加藤典洋によれば、戦中戦後に数度繰り返された有名な文学論争は、みな「政治VS文学」の図式だったのだが、面白いことに、前回の論争で「文学側の代表」だった者が、次の論争では必ず「政治側の代表」になるという。

「政治側の代表」というのは、簡単にいえば、文学といえども文学だけで正しさは担保できず、文学の周囲にある政治や社会の状況や言論を踏まえなければ正しくはならない、といったような主張をする論者ということだ。

そして、加藤によれば、最後の「政治VS文学」論争で最後の文学側の代表だったのが吉本隆明であり、しかしその吉本隆明もまた、加藤の観点からすれば、政治側に回ってしまいそうなのだ。そこもまた『敗戦後論』の読みどころだろう。

ところが、『敗戦後論』の、昨年刊行された ちくま学芸文庫版では、解説の伊東祐吏という人が、こんどは加藤典洋自身がいわば政治側に回ったのではないか、といった主旨の指摘をしているのが、なにしろ興味深い。

《加藤の「文学」は、ウソやゴマカシを拒むとともに、自己中心性を大きな特徴としてきた。だが、憲法の選び直しを主張していた加藤は、安倍政権の改憲が見えてくると、憲法九条を守ることを第一に考えるようになる》。これは《明らかな後退だろう》と伊東は言うのだ。

これが興味深いのは、加藤典洋さんのツイッターなどを昨年くらいからフォローしていて、私もうすうす感じていたことだからだ。《はたして、世の中が変わったのか。加藤が変わったのか。加藤は、三・一一がすべてを変えたと言う》。

……というわけで、『敗戦後論』は、日本の戦後の逡巡と狡猾を静かに照らし出した一冊なのだろうが、それにも増して、私のこの20年あるいはまさにここ数年の逡巡と狡猾もまた、否応なく反射させられるのだと、確信している。

さて、『敗戦後論』を、少し前に再読し始めた柄谷行人『探究1』の隣に置いてみれば、あまりのコントラストに笑うしかない。『敗戦後論』自体は柄谷は真正面から批判したことで知られるが、『探究1』はそうした類の論考ではなく、いわば文学とも政治とも(少なくとも一見は)あまりにも無関係だ。

だけど、やっぱり『探究1』は、たしかに『敗戦後論』などとはあまりにも無関係でテーマが独特すぎるわけだが、私にとってのインパクト・面白さでは、『敗戦後論』と肩を並べてしまう。

さあでは、この『探究1』の面白さも知人たちに……と考えたとき、いや、こんなヘンテコな本をすすめられる知人なんて、ほぼ誰も思い浮かばないことに、また深いためいきをつかざるをえない。なんという本だろう。なんという孤独な読書であることか!

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20161012/p1