東京永久観光

【2019 輪廻転生】

★浮雲/成瀬巳喜男(劇場鑑賞)


 浮雲 [DVD]


――赤い満月が沈んでいく明け方に――


きのうの宵、池袋は大混雑。花の土曜、新文芸坐に『浮雲』をみにいく人なんてそう多くもなかろうと予想したが、そうでもなかった。(たしかに私にとっては、この映画よりほかに目指すものなどまったく思いつかないのだったが)

浮雲』を映画館で見るのは初めてで、始まると、スクリーンがやけに四角いなとか白と黒だなとかそんなことでも気持ちは盛り上がり、123分はあっという間だった。もはやこの映画の中に住んでいたいと、ひとことで言えばそんな感想だ。

それはまったくの妄想ではなく、現在の私たちは毎日インターネットの中に住んでいるようなものなのだから、映画の風景や映画の台詞が思うことのすべてを支配しても、それほどヘンではない。

とりわけ、ゼロ年代以降は、時代の区分とか時代の変化とかが感じられず、のっぺりと後も先も同じような眺めにみえているのであるから、ここでかりに昭和21年とか昭和30年に入り込むことにして、時間もそこで止まっているつもりになることは、無理ではなく、無意味でもまったくない。

筋書きがどんどん進み、とうとう屋久島まで行き着き、病気のためにしだいにやつれ果てていくゆき子は、顔がどんどんアップになって、いろんなことを言いたげだ。

一方、富岡が口紅をさしてやる最後のくだりは、回想カットまで入ったかとおもえば、後ろ姿で崩折れるなど、やけにしつこい。そのしつこさのなかに私たちは、ゆき子を不憫に思う富岡の純真さを初めて垣間見るけれど、その冗長さゆえか、富岡の心の本来の空虚さや調子のよさもふと思い出してしまう。

ザンパノとはちょっと違うんじゃないかと、思ってしまうのだ。それだけにいっそうゆき子が不憫なのだった。

伊香保温泉はセットとロケの両方で撮影したようだが、石段を歩くシーンはやっぱりぜんぶロケなんだろうか? 温泉の浴槽に2人でつかっているシーンなんかはどうなんだろう?

冒頭の焼け跡の残る界隈に、代々木上原(渋谷区)の表示板があったり、千駄ヶ谷の駅前のあとに歩くのは、どうやら新宿御苑だなとか、わりと近所なので、興味津々。そして、薄暗くなって電車のガード下から続く路をとぼとぼ歩く2人の後ろ姿が、私としてはやはり最も惹かれるカットかなと思った。

それにしても、話の筋はめまぐるしく、仏領インドシナにおける役人の業務もわかれば、怪しい新興宗教の祈祷や「ゆき子様」と呼ばれる羽振りの良さまでわかるという、これはもう、『流れる』に負けず、だれがみても面白くてしかたない映画でもあろう。

あと、中北千枝子さんがニッセイのおばちゃんであることを実際に知っている私は、昭和を長く生きたなあと思う。


さて帰りは、物悲しい気持ちをかかえつつ、目白方面へ夜道を歩いた。すると、道路が上下に交差する千登世橋というものがあったり、その先になぜか線路が脇を走りそれがなんと都電であったり、実際に電車が通り過ぎ向こうへ曲がっていったりした。

こういう気を引く眺めがあって、そこに誰かにいてもらったり動いてもらったり、なにか適当に台詞を交わしてもらったりして、それを映すことに夢中になり、またそれを観ていたく心を打たれたりするのが、映画なんだろうなと、勝手ながら想像できて、その世界に自分がちょっとだけ入り込んだ気分。


浮雲』をDVDで初めてみたのは9年前で、そのときは花の金曜だったようだ。
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20070304/p1


それとあと、このテーマ曲、いかにもメロドラマの旋律っぽいことはさておき、とんとんとんとん、どうにも無表情で、空虚で、他人事のようにただ続く、太鼓の音が、耳から離れない。
https://www.youtube.com/watch?v=Cd7XAi-SjUQ&

ボレロ」に似ているかも。どちらもそっけないリズムと旋律の繰り返しに引っ張られているうちに抜け出せなくなる。とはいえ、『浮雲』は話も曲も「ボレロ」よりもっと暗く痛切だ。どこか陽気でもある「ボレロ」は川島雄三『愛のお荷物』にぴったりかも!