東京永久観光

【2019 輪廻転生】

想い出はモノクローム 色を点けてくれ


資生堂のCM女優が勢ぞろいした映画『FLOWERS』をDVDでみた。竹内結子主役の昭和30年代(だったか)のパートは、カラーの色が微妙なぐあいで、ふしぎに懐かしさを誘った。その時代に撮影された映画の色合いを模しているのかもしれない。

昭和30年代というと1955年〜1965年。この時代を思い出すことのいくらかの部分、もしかしたら大部分は、この時代の映画を思い出すこととイコールかもしれない。

あるいは、ちょっと時代はずれるが、カラー写真というものが出始めたのはたぶん昭和40年代で、その時期の写真を今みれば、何十年もたっているのでかなり色あせている。竹内結子パートの独特のカラーが懐かしいというのは、こうした「懐かしい写真の色合い」がベースになっている可能性も高い。

一方、昭和30〜40年代よりもっと古い時代を頭のなかで思い描こうとするとき、それがカラーだとなんだか間違っている気がするのは、そのころの写真が白黒しかなかったことによるのではないか。『FLOWERS』でも蒼井優のパートは最初だけカラーですぐ白黒に変わるのだが、昭和11年の話が鮮やかなカラーだとやっぱりなんとなくへんなのだ。

おもしろいことだ。そもそも「記憶とは貯蔵されているのではなく常にその時点で作られる」といった指摘もある。たとえば私が昭和40年代を懐かしむとき、私の頭のなかにあるその思い出は、いったいいついかにして出来上がったものなのやら。

私の視覚記憶といったようなものは、あまりにもあまりにも映画や写真の影響を受けている。私たちの視覚イメージ構成は、縄文時代とも江戸時代とも異なるが、明治時代とも昭和時代とも異なるのだろう。(私の言語生活がツイッターによる支配をあまりにも大きく受けているのも同じことだが)


 *


さて、『FLOWERS』はじつにきれいなだけのお話だったが、同じように昭和を生きていった娘たちの、さほどきれいではない、というかむしろかなりきたない側面がしだいに露わにもなるお話を、たまたまそのあと橋本治の小説『リア家の人々』で読むことになったのが、面白かった。

この小説で橋本治がものごとを叙述していく姿勢はきわめて素朴に思える。普通の人々が普通の生活をしていくなかでの出来事をひたすら淡々と描いている。一気に読んでしまったのはそのおかげだろうか? そのようにすれば、誰でも面白い小説が書けるのだろうか?

いや、ただ素朴に描いたからといって人物や時代の深みに必ずしも至れるわけではないだろう。人物や時代を「素朴に浅く」しか描けない書き手もいるはずだ。

ただし、素朴に書けばその書き手自身の「深さ」または「浅さ」はやっぱり素朴に露わにはなるのが小説というものだろう。つまり、書き手が人物や時代のとらえかたが「浅い」のであれば、その「浅さ」が徹底して(すなわち「深いところまで徹底して」)明らかになってしまうということは、言えるのではないか。


 *


さてさて。橋本治は昭和小説とでも言えそうなものを最近よく書いているらしいが、この『リア家の人々』で最終的にクローズアップされてくるのは1968年。この年は橋本治にすれば最も重大でありかつ最も身近でもあるのだから、当然だろう。

ただ、そうした世代より後に生まれた私からすると、1968年や1969年はむしろ昭和43年や昭和44年という感覚で生活していた。

そしてその時期はやはり、テレビや写真がカラーになってきた時代なのだ。

 
 *


こんなことをいろいろ書いているけれど、実はさっき成瀬巳喜男の遺作映画『乱れ雲』をDVDで見たことが大きい。『乱れ雲』は1967年の制作のカラー作品で、その色合いがまさに私がイメージする昭和40年代だったのだ。家の中、街の様子、人々の服装などもとても懐かしく感じられた。

しかし、先ほどのように記憶の正体を疑いだすと、何が懐かしいのかは自明ではなくなる。たとえば私は単に成瀬巳喜男の他の映画『浮雲』や『乱れる』を思い出して懐かしんでいたのかもしれない。どうなるんだどうなるんだと思わせつつなかなか終わらないところは『浮雲』そっくりだった。土砂降りの雨が降ったり風邪を引いて寝込んでしまったりというところも、ああ『浮雲』だと思った。

乱れ雲』は主演男優が加山雄三なので、当然ながら『乱れる』が思い出された。同じく、ヒロインが司葉子であることから小津安二郎の映画も思い出された。


 *


それにしても、これらはいずれも戦後の日本のイメージだ。しかもそれはもちろん、戦後が長すぎて退屈しはじめる前の戦後の日本だ。それは私の(現在進行中の)記憶のなかでは、もっとも麗しく輝いている時代におもえる(その記憶を写真や映画が作ったのだとしても)

何が言いたいのか分からないが、「人が長く生きて死ぬまでにはざっと1世紀にもわたる思い出を抱え込んでいくことになる」ということだ。歴史は長いものであり、そのうち個人が生きて眺められるのはほんの1シーンにすぎないけれど、それでも個人の一生のうちにはかなり長い歳月のフィルムが確実に回るのだ。

ただし(ここで話の方向が少し変わるが)、人は若くなくなったころから時代の変化をあまり好ましいと思えなくなり、さらに時代の変化を受けとめもしなくなるのではないか。

だから私は、たとえば『笑っていいとも』が始まった1982年頃には時代の色合いががらりと変わったと記憶しているのだが、それ以降はどれほど年数がたってもタモリは1982年のタモリのままで変わらない。日本という国は1995年に大きな曲がり角を曲がったとよく評されるが、それも強い実感がない。まして2011年の日本となれば、1982年の日本とも1995年の日本とも2001年の日本とも大きく違っているはずなのに、どうも鈍感でよくわからない。


 *


(追記)

私たちが回想する昭和40年代は、当時のカラー写真、カラーTV、カラー映画の色合いになっているのではないか、ということを上に書いた。さてそうすると、「ウルトラQが総天然色で甦る!」なんていうのは、どれほ複雑な懐かしさを誘うのか。

http://www.youtube.com/watch?v=4J0jg1RoSRg


(おまけ)http://t.co/133jki5
緊急地震速報のチャイム音を作曲したのは、あの『ゴジラ』の音楽を作曲した人の甥らしい。

でもほんとに恐かったのは、ウルトラQのタイトルと音楽だ。
http://www.youtube.com/watch?v=z4dMAc1gMUA


 ***


FLOWERS-フラワーズ- [DVD] リア家の人々 乱れ雲 [DVD]