東京永久観光

【2019 輪廻転生】

もうすぐ四十郎、五十郎、六十郎、七十郎の方々へ主に


何回見れば気がすむのかと思いつつ、『椿三十郎』を見てしまう。NHK黒澤明特集。そのあとネットに戻り、そういえばリメイク版の『椿三十郎』もあったっけと気づく。

三船敏郎織田裕二。「よりによってなぜ」と思う私の感覚に、客観公正な根拠はない。1962年のあの三船敏郎が案外「いけ好かないやつ」と一部大衆には感じられていなかったともかぎらない。いつしか織田裕二が伝説的名優として平成史に刻まれないともかぎらない。

しかし、たとえば昭和に生まれ昭和を十分生きた人にとって、『椿三十郎』といったらこの『椿三十郎』しかありえないだろう。

古い映画は、理の当然として、生涯に見る回数が新しい映画に比べて多くなりやすい。そしてまた理の当然として、「懐かしい」という思いは古い映画にしかもてない。古ければ古いほど「懐かしく思い出す」回数は今後も増えていくだろう。老いた三船敏郎を見ることができ、かつ若い三船敏郎も映画によって見ることができる一方で、老いた織田裕二を見ることは今は誰もできず、00年代の『椿三十郎』や00年代の世相をじっくり懐かしがることも今はまだ決してできないのだ。

たとえばライトノベルなどが、いつか「古き良きあの頃」として白髪や禿頭になった人々によって回顧されるような時がいつかは来るのだろうか。そういうことを私は想像しかできない。しかも一般に想像というのはなかなか難しい。一方、私が生まれて育った過去の時代なら、私はもちろん想像の必要なくよく知っているし、知らなかった時代の過去ですら写真や映画を通して想像する以上に見ることが可能だ。

もっと言えば、前にも言ったが、ある個人にとって懐かしい年代というのは生涯変化しないのかもしれない。さらには、ある国民全体にとって懐かしがる年代というのも実はだいたい決まっていて相当のあいだ変化しないのだとも考えられる。たとえば「大きな戦争が終わったあとの一定期間」といったぐあいに。

こうした事実は、難しい用語では「歴史の非対称性」もしくは「歴史の不可逆性」と、私には呼ばれている。http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20070304

用心棒』はなかなか陰惨で暗かったが、『椿三十郎』はなかなかとぼけていて楽しかった。敵方の人質が思いがけず飯を食っていたり、また押し入れに戻っていったり、最後にやっとその顔を見せる城代家老の「乗った人より馬は丸顔」という名文句など、往年の映画好きにはもう正月の餅に匹敵する定番なのではないか。

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黒澤明椿三十郎ASIN:B000UH4TTQ

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七十郎の自分を想像できるだろうか。後期高齢者になった自分を想像できるだろうか。
How terribly strange to be seventy.(S&G, Old Friend
http://jp.youtube.com/watch?v=WB0nt22Sgi8