東京永久観光

【2019 輪廻転生】

読み書きのフローとストック


読むものが書物からツイートに変わったというのは、読書のメインがストックからフローに変わったということだ。長い日記や読書ノートやブログもあまり書かなくなった。言葉を使って思考すること全体がフロー中心になってきたのだろうか?

ちなみに脳は、フローだけをやっているようで、勝手にストックをどこかに積み上げているようなところがある。

では、ツイッターとかフェイスブックとか、つまりスマホとかパソコンとかはどうなのか?

ツイートしたりハートをつけたりした瞬間から、すべては忘れ去られ消えてしまうような気がするが、案外、本人もあまり知らないところで、多数のサーバのあちこちに複雑なストックとして積み上がっているようでもある。

かつて私は、パソコンの記録は脳の記憶とは異なり「勝手に連結したり増殖したりは絶対にしてくれない」ことに気づいて愕然としたが、現在のインターネットの記録はけっこう脳に近いところがあるのだ。

ただし、インターネットという脳が誰のものであるかが問題だ。私の脳は私のものだが、インターネットという脳はやっぱり私の脳ではない。いや、それは思い込みにすぎないのか? つながっているものはなんでも1つのものだと思えばいいんじゃないか。そう単純でもないか。