東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ミームはスケールフリー


人々の身長のグラフは正規分布的だ。平均値のあたりに大多数が分布し、極端に高い人や低い人はまずいない。しかし年収や知人の数は正規分布にはならず、途方もなく年収や知人の数の大きい人がごくわずかであるが存在する。つまりスケールフリー(べき乗則的)分布。

これは、遺伝子(gene)は生物としての制約が大きいのに対し、ミーム(meme)にはそれがないことを意味するのではないか。以下のエントリーを読んで、ふと思った。

 http://d.hatena.ne.jp/kaerusanu/20130208#p1
 「人間には、遺伝子ベース型とミームベース型の2タイプがある」

知人の管理が手書き手帳からfacebookに移行したことで、生物的さらには物理化学的な制約がいっそう減って、知人数グラフの横軸はいっそう無限に伸びていることと思われる(柵ザッカーバーグ分布と呼ばれている。私に) 注:「柵」は「しがらみ」と読みます

柵はともかく、性的パートナーの数なんかもほんとにスケールフリーだそうで、エイズ感染などがごく少数の自由恋愛実践者がハブとなり、予想外にどんどん広がることも知られている。

話がさらに横に行くけど、インフルエンザ感染がどう広がるかは、人と人との物理的距離が決定要因になるが、エイズ感染の場合は、物理的距離ではなくて、交際的距離が決定要因だ。(インフルエンザは隣にいればうつるが、エイズは隣にいるからうつるわけではない)

これっておもしろいな〜と思う。

さて、インフルエンザはさておき、柵ザッカーバーグはもっとどうでもいいが、「人が読む本の数なんかも、スケールフリーだね、知識の総量というのもスケールフリーかもね」ということを、今日はふと思ったのだ。それは読書や知識の本質が、まさにgeneではなくmemeだからだろう。

キンドルとかツイッターとかも「読む、知る」の、geneからmemeへの移行(遺伝的制約の無化)、さらには、書籍やノートという物理的制約の無化すら、いよいよ加速していると思う。

「読む、知る」あるいは「書く」で、gene的制約・物理的制約というと、結局もう、「人の目や手」、そしてそれらとコンピュータとの「インターフェース」だけの問題になってきそうだ。

さて、最後の一つ前に言いたいこと。読んだり書いたりの行為は、物理的な制約(目、手、インターフェース)を完全に脱することはできないが、自分の頭のなかで考るだけの行為なら、ほとんど脱することができるのではないか。

ただニューロンという物理的制約はあるのだろうが、ニューロン一個一個の物理的制約など、無数のニューロンがネットワーク化したときの桁違いのパワーの前には、ほとんど無視できてしまうのではないか。(ニューロン柵ゼロ仮説)

最後に言いたいこと。では私たちがいつかほぼ完全にgeneを脱して、ただmemeの集合体、要するに「情報としての私」がマジに実現した暁には、言語という仕組みの制約が本当に浮き彫りになるのではないか。あるいは言語という仕組みの本質が、まるきりイコール思考の本質に直結する。

私たちの社会は、今はまだまだ、言語を完全に自由に活動させてやってはいない。目や手の制約があり、キーボードの制約がある。そして、ザッカーバーグ的な柵の制約があるしね!(おわり)