東京永久観光

【2019 輪廻転生】

言語大陸横断鉄道



生物進化認知言語脳科学? なにかそのような大変な陸地に足を踏み入れた気がする。しかもそこにある代表的な風景はもうまとめて見て回ってしまったという達成感すらある。理化学研究所 脳科学総合研究センターの入來篤史さんが編集した『言語と思考を生む脳』。このうち入來さん自身が書いた2つの章を読んだ。asin:4130643037


以前、サケは「自分が/卵を/産む」といったかんじでそれをやってはいないのではないか、ということを書いた。その前には、植物がかりに言語をもったならそれはいわば形容詞だけではないのか、といったことも書いた。
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20080518#p1 サケの気持ち、ヒトの気持ち、ブログの気持ち
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20080408#p1 バケツと世界


ただ、こうした問いはどうせそれ以上は手の施しようがあるまいとも思っている。ところが、ブルーバックスの『脳研究の最前線』(asin:4062575701)で入來さんの考察や実験を知って驚いた。なぜなら、入來さんはもしや結局そうした突飛な問いにこそピタリ照準を当てているのではないか、と感じられたからだ。入來さんは、この世界を「自己/状況/他者」と切り分けて捉えられるのはヒトを含めた一部の霊長類だけだろう、と考える。それは「自動詞的行為」から「他動詞的行為」への進化だとも言う。学問としては横断的というか、たぶんかなり大胆な言い方に、私は強烈に引きつけられた。


そして今回の『言語と思考を生む脳』。総論にあたる「霊長類知的脳機能の進化」では、ヒトは脳に何が起こってこうなったのかを、ブルーバックスと同じく「他動詞的な認知に至る進化」のストーリーとして記述している。がっつりと(ああ使いたくない副詞を使った!)


そのストーリーにおいてクライマックスのように浮上してくるのは「概念」ということだった。ここで私は、北京観光なら万里の長城を登りきったような、カンボジア観光なら船でシェムリアップまで苦労して移動しそのあとガイドの運転するバイクにまたがってだだっぴろい荒れ地を進んだあげく「ついにアンコールワット遺跡が見えてきた!」というような、そんな思いがした。


その「概念」について、入來さんは「概念形成と思考」と題した別の1章を費やして検討している。


《私たちは常に、似たような状況としてしか以前の経験を生かせないため、それらの似たような状況は、何らかの特徴によってまとめられなければならない。小さな物理的差異を無視し、より意味ある情報に注目することから、情報の抽象化、すなわち概念の形成が始まるのである》

《その本質的な機能は、直接的には存在しない「性質」や「関係性」といった抽象的な"概念"事象を先験的に規定して、それに適合する現実の要素を枚挙するといって思考形式にある》(これは総論より)


……まあ当たり前といえば当たり前の説明かもしれないが、万里の長城もただ当たり前の山登りであり、アンコールワットもただ当たり前の石造寺院だ……


このあいだ、言語の本質は疑問や否定を浮上させられることにあるとか、でもチョムスキーは「再帰性」だと言っているとか、いやいや「シンボル性」こそが本質だろうとか、いろいろ書いた。しかし、本質という思い切った言い方をするなら、実はもうだいぶ前のことだが、我々の認知や意識の本質は「象徴」「表象」「抽象」といったことにあり、そしてもうすぐその隣には「言語」がやってきているではないか、みたいなところに考えが行き着いたことが何度かあった。ここでいう「概念」はそれと同じようなことだ。

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20040907#p1
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20051011#p1


あなたが公園で群れる鳩に囲まれたとき、ふと世界平和を祈りたい気持ちになったり、なぜか正義の総務大臣の顔が浮かんできたり、そういえば鼠先輩ってどうなったんだっけとあの歌声をつい口ずさんでしまったりするのは、すべて「概念」という、自然の中ではなく脳の中にある恐るべき織物のせいなのだ。シンボルということの核心もそれとかなり近いところにあるだろう。


さてさて、入來さんは、「他動詞的な認知」というストーリーに裏付けを与えるために、ニホンザルに道具を使わせ脳の活動の変化を観察する実験を行ったのだが、こちらの「ヒトが概念を形成できる」ということについても、同じく「脳のこことここがこのようにはたらくからだろう」といった仮説を立てて理論化しようとしている。それがこの章の核心になっている。


そこで出てくるのはちょっと意外にもミラーニューロンだった。サルは自らの手や口を使っているとき脳のある部分が活性化するわけだが、自分ではなく他の個体が同じように手や口を使っているのを見るだけでも、脳のある部位が同じように活性化する。そのことが発見され、そうした特徴をもつ部位などがミラーニューロンと呼ばれている。


ミラーニューロンは自己と他者の認知にとって不可欠だと考えられている。つまり、この世界において自分という独立した存在がここにあるということや、さらには、そこに見える相手が自分とは別のしかし自分と同じ独立した存在であるということが、ちゃんとわかるための神経機構のカギを、ミラーニューロンが握っているということだ。


入來さんは、このミラーニューロンをめぐる知見を詳しく分析することで、ミラーニューロンのはたらきがあれば概念形成がいかにして可能になるかという、相当長い道のりの推測を、一歩一歩だがかなり長足の一歩一歩で進めていく。


 *


ところで実はもう本日になってしまうのだが、入來さんの公開講座がある。西新宿の東京言語研究所というところ。14:00〜16:30。http://www.tokyo-gengo.gr.jp/


この本についてはもっとしっかりまとめたいのだが、このお知らせもかねて、とりあえずここまで。


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生物進化言語認知脳科学と最初に書いた。入來さんの専門というなら神経科学(いわゆる脳科学)になるのだろう。それでもその探究の中心には「人間の心ってどうなってるのか、核心のところが知りたい」という思いがあると感じられる。そのために進化を考え、認知を考え、言語を考えるのは必然のことなのだ、とも感じられる。


おもしろいのは、脳科学が専門であるせいか、言語や思考という問題をめぐって、脳科学の全体を記述するなどということは当然しないのだが、逆に、関連する進化学や認知科学についてはポイントだけを平たく解説することに結果的になる。おかげで読者としても、そうした分野のほうがむしろ「なるほどこういうことか」とさっくり感心することが多い気がする。


そしておそらく、いわゆる理科系の学問から最も遠いところにあるのが言語学だろう。しかしだからこそかえって、たとえば「他動詞的」というような直感的な言い方も、それが核心的でさえあれば理科系の学者なら迷わずするのだろう。さらには、ミラーニューロンの考察の果てに「言語の分節化」「文法の構造化」といった言い方も出てくる。これなども言語学からすれば「そういう用語は基本書を100冊読んでからにしてほしい」というところなのかもしれない。ただ、研究者ではない読者にとっては、脳科学にしても言語学にしても認知科学にしても進化生物学にしても専門書を100冊読んでようやく「そうかこれは他動詞的ということなのだな!」とか「なるほどこのように言語の分節化や文法の構造ができるのか!」と悟ったとしても、それは60年間にわたって座禅を組み教典を読んでようやく正しい生き方がわかりました(が、そのあとすぐ老衰で死にました)というようなもので、なかなか困難な道のりではあろう。


このほか、入來さんは「世界観」というような言い方もしているのが、私にはとても印象的だ。《このような、概念と言語構造によって把握されるヒトの「世界観」は、ヒト以外の動物のそれと比べて、どのような特徴を持つのであろうか》といった具合。


私自身の関心はどこにあるのだろうか。なんとなく宇宙のどこかに知的なものが別に存在していたら、彼らはどんなふうにやっているのか、言語に似たものをやっぱりもっているのか、だったらその言語はどんな構造をしているのか、そんなところが一番知りたいと思っている。だからさしずめ「宇宙生物進化認知言語学」だ。いやそれはあまりに深爪。